【札幌】「もったいなかった」2003年…補強チグハグ選手モヤモヤJ2で9位

山梨学院高でコーチを務める札幌OB・堀井氏
山梨学院高でコーチを務める札幌OB・堀井氏

 2度目の降格から1年でのJ1復帰を目指した2003年、コンサドーレ札幌は12チーム中9位に終わった。96年に鹿島を優勝に導くなどしたジョアン・カルロス監督を招へい。ブラジル代表歴のある外国人も獲得と積極補強を図るも、2年連続で指揮官が途中交代するなど一貫した組織作りができず、上位争いに絡めなかった。この年、チーム最多の8得点を挙げた現山梨学院高コーチの堀井岳也氏(44)が、当時を思い返した。(構成・砂田 秀人)

  • 2003年9月28日の紙面
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 03年シーズン、堀井氏には忘れられない試合がある。8月2日のアウェー・新潟戦。昇格のためには引き分けも許されない戦いに1―5と大敗し、夢はついえた。

  • 札幌の2003年布陣
  • 札幌の2003年布陣

 「試合前に相手の反町監督が『札幌はギャンブルサッカー』的に評していると聞いて。確かに外国人がツボにはまると大量点を取って勝つけど、安定して難しい試合をものに出来るチームではなかった。そういう意味で言ったのだと思うが、僕らは『どういうこと?』と。絶対勝ってやろうと思って行ったのに、その言葉通りになってしまった。あの負けでガクッと来た」

 1年でのJ1復帰を目指したこの年、監督に鹿島や名古屋で実績十分なカルロス氏を招へい。ブラジル代表歴のあるベット、ホベルッチを獲得し、01年のJ1得点王ウィルを呼び戻した。

 「補強を見てもフロントの意気込みはすごく感じていた。中でもベットは強烈だった。ボランチの彼に預ければ何とかしてくれたし、前ではウィルが起点になった。僕は彼らを生かそうと、空走りでもいいから走ってスペースを作る、前で彼らがしない守備を頑張るというところに徹してましたね」

 しかし5月にベットがホームシックを理由に帰国。6月にはウィルがJ1大分へ移籍し、ホベルッチはカルロス監督との確執で7月に退団。カルロス監督も先の新潟戦後に辞任した。1人が抜けるたびに外国人の補強は続けたが、一度崩れたリズムは戻らなかった。

 「ベットから攻撃が始まっていたので。彼がいなくなったことで、もう一手間をかけなきゃいけなくなったのは痛かった。シーズン前はやれる手応えを持っていたが、核となる外国人がコロコロ変わり、日本人の僕らは落胆も大きかった。第6節で福岡に5―0で勝った時などはやってて『強いなー』と思えたほどだったし。かみ合えば、上がれる可能性はあったと思う」

 

激動の中、チーム最多の8得点と奮闘した堀井氏だったが、結果は当然、満足できるものではなかった。

 「8点で最多は、J1を狙うチームにとっては少ない。もう1人、15点くらい取れる外国人がいないと。実際、その力のある選手はいたが、力を出し切れないまま終わった。自分へのふがいなさと、もったいなさが残った1年でした」

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