【巨人】原監督、聖地・甲子園目指し“血しぶき”ストーリー…想像を絶する高校時代

74年8月、準々決勝の鹿児島実戦で敗れ、甲子園を後にする原(後方左)ら東海大相模ナイン
74年8月、準々決勝の鹿児島実戦で敗れ、甲子園を後にする原(後方左)ら東海大相模ナイン

 巨人・原辰徳監督(61)が21日、高校球児の“進学・就職トライアウト”開催案を披露した。20日に日本高野連が第102回全国高校野球選手権大会(甲子園)の中止を発表。次の進路へのアピールの場を失った球児を思いやり「野球の能力、人間性を大いに披露して、我々も見られる場所をつくることを約束したい」と今後、方法を模索していく意向を示した。プロだけでなく大学、社会人関係者も招き、一人でも多くの球児が次のステージでプレーを継続できるよう支援していく考えだ。

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 1974年生まれの私にとって、巨人の4番といえば現役時代の原監督だった。誕生から巨人の4番になるまでのサクセスストーリーを描いた漫画も読んだ。私が生まれたばかりで記憶にない東海大相模時代を振り返った場面では、当時、同校の監督だった父・貢氏に、ほかの部員よりも極端に短い距離で放たれたノックの嵐や、あの時代にはあった“愛のムチ”を人一倍受けた話などが、飛び散る血しぶきとともに記されていた。

 ハンサムで格好いい「4番サード・原」しか知らない少年時代の私にとっては衝撃だったが、一方で「盛ってる」とも思っていた。原監督に真実を確かめると「あったね。でも俺もそういうのを覚悟して高校に入っているからね」と、あっさり認めた。想像を絶する高校時代を原監督が耐え抜けたのも、甲子園出場という目標があったからだろう。今度、話す機会があったら、そのことを聞いてみたいと思う。(阿見 俊輔)

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