【札幌】岡田武史監督の最終年の01年に初のJ1残留…ウィルがクラブ初のJ1得点王

柏DFのマークをかわして攻め込む札幌・ウィル(右)(01年11月17日撮影)
柏DFのマークをかわして攻め込む札幌・ウィル(右)(01年11月17日撮影)

 コンサドーレ札幌はJ1で2度目の戦いとなった2001年、初の残留を果たした。3年目の指揮を執った岡田武史監督の最終年となったこの年、日本代表11試合の出場を誇り現在は現J2山口のヘッドコーチを務めるDF名塚善寛氏(50)は、14年間の現役生活を終えた。クラブ初のJ1得点王となったFWウィルら個性的な選手がそろっていたチームを、名塚氏が、当時の自身の思いとともに振り返った。(構成・砂田 秀人)

 01年、リーグ最終戦(11月24日・対C大阪)試合中に、名塚氏は14年の選手人生にピリオドを打つことを決めた。

 「99年の終わりに両足首を手術した影響もあってか、00年はJ2でも気持ちとプレーがズレて、1つ2つ遅れているという感じがあった。納得いかない面がありつつも、J1でやりたかったし、01年も現役を続けた。ただ、そのズレをより感じていて。最後のセレッソ戦は先発したけど、前半までで交代となった。それが今の俺への正当な評価だなと納得できた。その時にスパッと、引退しようと決めた」

 日本代表として11試合に出場した名塚氏は、平塚(現J1湘南)からの加入1年目となった99年から2年間、主将を務めるなど、チームの支柱的存在だった。

  • 札幌の01年布陣
  • 札幌の01年布陣

 「01年はすごくバランスのいいチームだった。J2優勝した前年のメンバーが残り、山瀬、今野という若手が台頭して。外国人もそろってたし、中でもウィルはいい選手だった。彼は膝元の動きが速くて、シュートのタイミングがつかめない。練習で俺が足を出したらもう打たれてたから。ブラジル人はたくさん見たけど、彼は本物だった。ああ見えてグラウンドでは一生懸命やってたし。このメンツをどうチームにしていこうという作業は面白かった」

 指揮官からも高い信頼を得ていた。この年が札幌で最後の指揮となった岡田氏は、シーズン中に名塚と野々村(現札幌社長)にはあらかじめ退任の意思を伝えている。

 「岡田さんは1年目は監督とはこうという感じで冗談も言わなかった。それが2年目から変わって、色々と話すようになった。ミーティングも分かりやすくて。試合の前の布陣図には、一人ひとりに動きを表した矢印が書いてある。当時は左からの攻撃が多かったので、左サイドは前にすごく長い矢印なんだけど、右の田渕のところはちょっとだけで。たぶりゅう(田渕の愛称)、『何で』ってぼやいてたな」

 昇格組の札幌は下馬評こそ高くなかったが、クラブ史上初のJ1残留を果たした。

 「自分自身もクラブもそこは目標だったので。そこに少しは貢献できたかなと。ミッションも達成できたし、自分の中で札幌で現役を終えたことに、悔いは全くない。指導者としても17年まで過ごしたクラブ。ありがとうという思いですね」

柏DFのマークをかわして攻め込む札幌・ウィル(右)(01年11月17日撮影)
札幌の01年布陣
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