ラッシャー木村さん没後10年、「こんばんは」で開眼した“金網デスマッチの鬼”…金曜8時のプロレスコラム

2010年5月25日付スポーツ報知21面
2010年5月25日付スポーツ報知21面

 元IWA世界ヘビー級王者のラッシャー木村(本名・木村政雄)さん(享年68歳)が2010年5月24日に亡くなって10年になる。木村さんは大相撲から1964年にプロレス界入り。39年間で7団体を渡り歩き、“金網デスマッチの鬼”からユニークなマイクパフォーマンスまで、黒いロングタイツで強烈な個性を放ち続けた。

 初代三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田さん(享年49歳)が2000年5月13日に亡くなって没後20年となった今年は、命日に「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」(小佐野景浩著、ワニブックス、1800円+税)が出版されたが、木村さんの没後10年には何も予定されていない。せめてここで振り返って、故人をしのびたい。

 大相撲の幕下「木ノ村」から、力道山没後の日本プロレスに入団し、1965年4月にデビュー。国際プロレスのエースとして、1970年に日本初の金網デスマッチ(ドクター・デス戦)に出場し、“金網デスマッチの鬼”として、全日本プロレスのジャイアント馬場、新日本プロレスのアントニオ猪木と並び、三大エースの一角を担った。

 1981年に国際プロレス崩壊後は、新日本で「はぐれ国際軍団」、全日本で「国際血盟軍」として猪木、馬場の敵役となった。全日本では、馬場を「兄貴」と呼んで義兄弟のちぎりをかわすと「ファミリー軍団」として、マイクパフォーマンスで笑わせるキャラクターに変身。大熊元司、永源遥、渕正信らの「悪役商会」と抗争し、マイクでいじった。観戦に訪れた現役時代の巨人・原辰徳監督に「耐えろ、ハラ。燃えろ、タツノリ」とエールを送ったこともあった。

 元参院議員のアントニオ猪木氏(77)は今月に自身のツイッターで、「ラッシャー木村は強かったんじゃないかな。ただあんまり関節技とか知らなかった印象があるなぁ。力はやっぱり相撲出身だからすごかったよね」としのんでいる。

 木村さんが、新日本に乗り込んだ時の「こんばんは事件」は、有名だ。国際プロレス崩壊後の1981年9月23日、東京・田園コロシアム大会で、アニマル浜口と悪役として対決ムードをあおるはずが「こんばんは」と善人丸出しの第一声を発しファンの失笑を浴びた。

 木村さんの訃報を伝えた2010年5月25日付スポーツ報知では、アニマル浜口氏が追悼文を寄せている。

 「兄貴(木村さん)は、酒が強くてね。ウイスキー2、3本でも酔わない。無口でしゃべらない人だったけど『こんばんは』で人間が開眼しちゃったんだ」

 「こんばんは」は、当時としては失言だったが、金曜夜8時のゴールデンタイムで放送されたインパクトは絶大で、漫才ブーム絶頂期のビートたけしが「こんばんは、ラッシャー木村です」とギャグにしたことで、プロレスファン以外にも浸透し、全日本でのマイクパフォーマンスの笑いへとつながった。浜口氏の「開眼」は至言だろう。現実として、たけしのバラエティー番組にゲスト出演して、たけしをマイクでいじったこともあった(1996年・日本テレビ系「たけし・さんま世紀末特別番組!! 世界超偉人伝説」)。

 現役ラストファイトとなったのは2003年3月1日、プロレスリング・ノアの日本武道館大会。このころから入退院を繰り返し、2004年7月10日のノアの東京ドーム大会で体調不良を理由に現役引退を表明。ビデオレターで「ごきげんよう。さようなら」の言葉を最後に姿を消した。

 木村さんと札幌のホテルで出くわしたことがあった。ちょうど巡業バスでホテルに着いた木村さんが、すすきの歓楽街に繰り出そうとしている時だった。あいさつして、一緒に付いていけそうな雰囲気だったが、当時、私は大相撲担当で、同じく巡業中だったある関取との約束があり、断念した。一期一会を今さら悔やんでもしょうがない。没後10年に献杯してあげることしかできない。

 亡くなってから約1か月後の2010年6月26日に、お別れ会が東京・江東区のディファ有明で行われ、同会場でのプロレスリング・ノア創立10周年記念シリーズ開幕戦が「ラッシャー木村 追悼興行」として開催されたが、あれから10年、2度目のメモリアルマッチが行われることはなかった。

 ノアでは前年の2009年6月13日に創業社長で初代GHCヘビー級王者の三沢光晴さんがリングでの事故で46歳の若さで亡くなるというショッキングなことがあった。三沢さんのメモリアルマッチは毎年、行われ、昨年に没後10年の節目を迎えたが、今年は開催されないという。そうでなくても、このコロナ禍で、ジャンボ鶴田さんの没後20年の節目となるメモリアルマッチも行われない。

 しかしながら、取材ができないコロナ禍で、過去記事にスポットライトが当たる今だからこそ、ラッシャー木村さんの没後10年に気付くことができたという側面も否定できない。きょう22日26時30分(23日2時30分)から、CS放送日テレジータスの「プロレス激闘の記憶~鶴龍&四天王編~」で、1998年1月26日・大阪府立体育会館でのジャイアント馬場、ラッシャー木村、百田光雄組vs渕正信、永源遙、菊地毅組が放送される(メインは三沢光晴vs秋山準の三冠ヘビー級選手権試合)。ステイホームの一献にいかがだろうか。(酒井 隆之)

 ◆ラッシャー木村(きむら) 本名・木村政雄。1941年6月30日、北海道・中川町生まれ。宮城野部屋に入門し、初土俵は58年3月場所。「木ノ村」のしこ名で、最高位は幕下20枚目だった。64年9月場所後に部屋から脱走して廃業。64年の大相撲廃業後、日本プロレス入団。以降は東京プロレス、国際プロレス、新日本プロレス(はぐれ国際軍団)、第1次UWF、全日本プロレス、プロレスリング・ノアと7団体を渡り歩いた。得意技はラッシング・ラリアット。03年にプロレスリング・ノア終身名誉選手会長に。内臓疾患で04年から都内の病院で闘病生活を送っていたが、2010年5月24日午前5時30分ごろ、腎不全による誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため都内の病院で死去。ノアでの最後の公式サイズは185センチ、125キロ。

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