【2010年5月24日】「アニキ~!」でおなじみ、ラッシャー木村さんが死去

マイクパフォーマンスを見せるラッシャー木村さん
マイクパフォーマンスを見せるラッシャー木村さん

 黒タイツに泥棒ひげがトレードマークだった、昭和プロレス史の名プロレスラー、ラッシャー木村さん(本名・木村政雄)が、腎不全による誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため68歳で死去した日だった。2か月後の6月26日にプロレスリング・ノア主催による「お別れの会」では、現役時代に共闘したアニマル浜口氏が涙の弔辞。「プロレス界はあなたを忘れることはありません」と泣き叫び、遺影に向かって「気合だ!」を連呼して別れを告げた。

 ラッシャーさんは大相撲の宮城野部屋に入門し、初土俵は58年3月場所。「木ノ村」のしこ名で、最高位は幕下20枚目だったが、64年9月場所後に部屋から脱走して廃業。東京五輪開催中の同年10月に、力道山率いる日本プロレスに入団しマット界を暴れ回った。

 その名を一気にとどろかせたのが、金網デスマッチだ。国際プロレスでエースの看板を背負っていた1970年に初めて日本人として挑んで勝利(対ドクター・デス)。外国選手に無敵の「金網の鬼」と恐れられた。

 2004年7月の現役引退まで約39年間で7団体(日プロ→東京プロ→国際→新日本→第1次UWF→全日本→ノア)を渡り歩いたが、ファンの記憶に色濃く残るのが、ガラガラにかすれた声で、ジャイアント馬場さんをいじりたおす、ユニークなマイクパフォーマンスだった。

 巡業先で地元の特産品、時事ネタなどバリエーションは豊か。試合後の馬場さんへのマイクパフォーマンスを見たくて試合会場に足を運んだファンも多くいたほどだ。会場に「マイク」コールがとどろく中で、口火を切る決まり文句は、敵対していた当初は「馬場、コノヤロー! テメエ!」だったが、タッグを組むようになってからは「アニキーッ!」に。リアクションに困る馬場さんの表情も傑作だった。

 「馬場、コノヤロー! テメエ! まぁ、試合は別として、あけましておめでとう!」

 「今年こそは馬場を倒そうと思って、毎日、モチを食ってんだよ、コノヤロー 俺の肌を見ろよ! モチのお陰ですっかりモチ肌になっちゃったよ」

 「最近なんか元気だと思ったら、コノヤローっ! やっぱり、ジャイアントコーン食べてるだろ」

 「アニキ! いつも博多来ると明太子ばっかり買うけど、今回は博多人形買おうな!? 二つ買って、俺に一つくれよ!」

 不可解決着なしの「明るく、激しく、楽しく」をモットーとした馬場さんの王道プロレスで、癒やしの空間を作ってくれたラッシャーさん。その“迷言集”はYouTubeにも数多く投稿されている。おうち時間があるいまだからこそ、見ておきたい。

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