甲子園中止…「防諜の見地から」朝日新聞が中止の知らせを掲載できなかった1941年、夏

甲子園球場
甲子園球場

 夏の甲子園大会が新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、中止になった。野球記者として、今回に限っては大変残念なニュースと言うよりも「仕方ない」と思わざるを得ない。

 他の高校スポーツだけでなく、文化系部活動の全国大会も、この夏は軒並み中止になっている。野球だけは、別ものと言うわけにはいかないだろう。

 夏の大会中止は1918年と1941年に次いで3度目となる。1918年、米騒動で中止になった時はまだ大会自体の知名度が低い時代で、全国の参加校はわずか137校だった。

 それに対して1941年は、毎試合のように甲子園に大観衆があつまって社会的関心度も高くなっていた。和歌山の海草中(現向陽高)が1939年、1940年と連覇し、1931~33年の中京商(現中京大中京)に次ぐ3連覇が注目されるはずだった大会だ。

 しかし、戦局の悪化から地方大会が始まっていた7月中旬、文部省次官通達でスポーツの全国大会禁止が関係者に通知された。全国高校野球選手権大会50年史によれば、「防諜(重要な情報が敵に漏れないこと)の見地から、中止の社告を出すことも認められず、野球大会は国民の知らぬ間に、シンキロウのように消え」とある。

 今回の中止報道はスポーツ報知がスクープした後、メディアからネット情報まで過熱。中止が決まった21日の朝日新聞紙面では、1面から計6ページを使って報じた。ところが、1941年は朝日新聞に中止の決定が掲載されず、一般ファンには知らされなかったまま中止が決まったという。戦時下との違いはあるにしろ、隔世の感がある。

 ちなみに、当時は都道府県に任された地方大会を行った県と、行われなかった県に分かれた。その時、夏2連覇中だった海草中は前年のエース・真田重蔵投手(プロ入りは朝日、ほかに松竹、阪神で通算178勝。1990年野球殿堂入り)が残っており、3連覇の可能性は高かったという。しかし、その夢が叶わなかった。

 それでも海草中は同年、当時選抜、夏とともに「3大大会」の一つとされていた、わずか4校で争われた明治神宮大会で3連覇を成し遂げている。夏の甲子園中止も気を落とさずに、練習に励んでいたのはさすがだった。

 今回、地方大会も中止ながら、各都道府県での代替大会開催は、それぞれに委ねられている。個人的見解ながら、秋の新人戦に重ならない程度に、8月から1か月かけてもいいので、各地区の優勝校を決めて欲しいと思う。(ベースボールアナリスト・蛭間 豊章)

 

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