【1959年5月26日】東京五輪招致決定の瞬間、あわや遅刻の招致使節団 名物ビールで乾杯

64年の東京五輪でフリースタイルで金3、銅1と4個のメダルを獲得し、快勝にわくレスリング男子日本代表チームと八田一朗氏(上段中央)
64年の東京五輪でフリースタイルで金3、銅1と4個のメダルを獲得し、快勝にわくレスリング男子日本代表チームと八田一朗氏(上段中央)

 1959年(昭和34年)5月26日、第55回国際オリンピック委員会(IOC)総会が、西ドイツのミュンヘンで行われ、5年後(1964年)の夏季五輪開催都市に東京が選ばれた。58人のIOC委員が出席。第1回の投票で34票の東京が過半数を超え、アジア初の五輪開催が決まった(ちなみに他都市の得票数はデトロイト10、ウィーン9、ブリュッセル5)。

 昨年のNHK大河ドラマ「いだてん」でも総会の模様が再現されているが、ここは当時の本紙の記事から再録する。この日は午後の会議で夏冬開催都市が決定予定だったが、午前の会議で冬季五輪立候補都市のプレゼン後、いきなり投票となった。午後からと聞いていた関係者は大慌て。招致使節団の竹田恒徳・日本オリンピック委員会(JOC)委員長(注・当時は日本体育協会の委員会の一つだった)は本紙の国際電話取材に「午後とばかり思ってホテルにいたら、急に午前中に(投票を)やるという…。慌てて飛んでいったわけでして…。新聞社の人で間に合わなかった人がいたくらい」と明かしている。

 投票はわずか10分ほど。八田一朗JOC委員は「いつもならハラハラして見守るけど、今日はそんなこともなかった。投票前から東京を認められていたし、デトロイトもウィーンも諦めていた。25日の平沢和重さんの説明は好感が持たれ、会場に深い感銘を与えていましたよ」と取材に答えている。

 冬季大会がインスブルック(スイス)に決まった後の午前11時45分(日本時間午後7時45分)過ぎ、オットー・メイヤー事務局長が会議室のドアを開け放ち、「トウキョウ!」と叫んだ。歓喜の日本使節団は近くのレストランの庭に流れ込んで、「名物のミュンヘンビールで乾杯した」と報じられた。

 田畑政治JOC総務主事は34票の得票について、本紙の直撃に「昨日、メイヤーさんと会った時、『東京30、ウィーン12、デトロイト10、ブリュッセル6』と言っていたくらい」と打ち明け、予想以上の評価を喜んだ。

 東京五輪決定の一報に日本中も歓喜に包まれた。都の職員の中には予定の深夜よりも早いラジオの臨時ニュースを疑う人もいて、「公報があるまでは」と慎重だったという。多くの人がコメントを寄せ、1936年ベルリン五輪競泳などを担当した元NHKアナウンサーの河西三省さんは「もう一度“前畑、がんばれ”と思わずマイクにしがみついたような感激を味わいたい」と話した。その女子200メートル平泳ぎの実況で日本女子初の金メダル獲得を報じられた旧姓・前畑の兵藤秀子さんは「私が出たオリンピックのとき、次の大会が東京と決まったのです。それが戦争のため中止になったのは実に残念でした。それだけにとてもうれしいですね」と喜んだ。

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