【札幌】99年J1昇格ならずも…岡田武史監督が選手をその気にさせた“魔法の言葉”

1999年、コンサドーレ札幌を指揮した岡田武史監督
1999年、コンサドーレ札幌を指揮した岡田武史監督

 1999年、コンサドーレ札幌は初めてJ2舞台で戦った。前年のW杯フランス大会で日本代表を指揮した岡田武史氏を監督に招へい。1年でのJ1復帰を狙うも、Jリーグで戦った前年からの戦力ダウンは否めず、10チーム中5位に終わった。この年、DFの主軸を務めた、現J1横浜Cコーチの古川毅氏(47)が、岡田体制1年目を振り返った。(構成・砂田 秀人)

 99年の札幌は、第8節までで2勝1分け5敗。10チーム中9位と出遅れた。しかし第9節から7試合負けなしと巻き返し。5位に順位を上げて臨んだ7月4日、札幌厚別での2位・F東京戦が、古川氏の記憶に刻み込まれている。

 「勝てば上にいけるチャンスだったが、浅利選手にミドルを決められて0―1で敗れた。開幕戦で大分に負けて、序盤こそ出遅れたが、バランスが見つかり始めたなという時に負けてしまって。結局、最後まで上位争いには食い込めなかった。1年でJ1に復帰する。それだけを考えてあの年はやってたんですが」

  • 選手に指示を出す岡田武史監督
  • 選手に指示を出す岡田武史監督

 1年でのJ1返り咲きを目指し、クラブはW杯フランス大会で日本代表を指揮した岡田氏を監督に。しかし前年、チーム最多の21点を挙げたFWバルデスや攻撃の軸のMFマラドーナら、強力外国人は退団していた。

 「予算面からも外国人が一掃されて、今思えばメンバー的には少し落ちていたなと。前の年くらいの戦力があれば岡田さんなら1年で上げられていたかもしれないが、ガラッと変わってしまったので。試合をしてても点を取れる感じがしないまま進んで行って、そうしている中で失点しまう。そこから点を取りに行ってバランスを崩し、またやられるという試合が多かった」

  • 99年のシーズン開始前に新入団選手と一緒に会見した岡田武史監督(中央)
  • 99年のシーズン開始前に新入団選手と一緒に会見した岡田武史監督(中央)

 5位と結果の出なかった99年だったが、04年の引退後に指導者となった古川氏にとって、岡田氏との出会いは大きなものだった。

 「2001年まで岡田さんの下でやれたのは自分の中での財産。戦術どうこう以前に、1選手に成長するための意欲を与えるすべに、本当に長けていた。ミーティングでも煙突修理の話をして『上から落ちることはほぼ無いが、残り5メートル、10メートルではよく落ちる。もう少しというところで油断せずに行こう』とか、説得力ある言葉で皆をその気にさせていた。僕は去年まで東洋大を8年間指揮したが、選手は話の全部など聞いてはいない。自分を変えようとか、次に向けてこうしようと選手が思うような、1つでもヒットし、心に火が付くような言葉を考えて話していた。人生を少しでもいい方向に導けるような一言を投げかけたいとなったのは、岡田さんの影響ですね」

  • 札幌の1999年布陣
  • 札幌の1999年布陣

 JFL優勝の97年に加入した古川氏は、02年までの在籍中、2度の昇格を経験した。99年は不本意な成績に終わったが、受けた声援は今も強く心に残っている。

 「当時のサポーターの後押しや温かさは、日本一だなと思っている。負けても罵倒せずに『次頑張れ』と言ってくれて、涙を流しながらコンサドーレコールもしてくれた。札幌ではいい思い出しかない。忘れられない6年間です」

 ◆1999年の出来事

 ▽1月1日 欧州連合(EU)加盟国中11か国で欧州単一通貨「ユーロ」導入。

 ▽同31日 ジャイアント馬場死去。

 ▽7月23日 羽田発千歳行き全日空機がハイジャック、機長が刺殺される。

 ▽同31日 GLAYが幕張メッセで20万人ライブ。

 ▽9月30日 茨城県のJCO東海事業所で国内初の臨海事故。

1999年、コンサドーレ札幌を指揮した岡田武史監督
選手に指示を出す岡田武史監督
99年のシーズン開始前に新入団選手と一緒に会見した岡田武史監督(中央)
札幌の1999年布陣
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