【2011年5月18日】巨人・大田泰示プロ初安打 苦悩して執念の一振り

10回1死満塁、プロ初安打となる中前2点適時打を放った大田
10回1死満塁、プロ初安打となる中前2点適時打を放った大田

 ◆2011年5月18日 巨人6―4楽天(Kスタ宮城)

 巨人・大田泰示内野手(当時20)に待望のプロ初安打が出た。一塁塁上で絶叫した後、満面の笑顔で「ボールください、ボールください」と左手を顔の前に上げた。それほどうれしかった。当時、球場の記者席で見ていて、思いがストレートに伝わってきた。

 4―4の同点で迎えた延長10回1死満塁、途中から「5番・一塁」に入っていた大田が右打席に立った。マウンドには背番号「74」の右の剛腕・サンチェス。初球、外角のショートバウンドする高速スライダーに空振り。2球目、141キロの高速スライダーが今度はわずかに高めに浮いた。

 大田は短く持つバットをちょこんと合わせるように出した。フラフラッと上がった飛球は前進守備の内野を越え、中前にポトリと落ちた。通算8打席目で初安打、初打点の決勝2点タイムリー。試合後は「整理して打席に入りましたが、初球のボール球を振って頭がパニックでした」と明かした。泥臭く必死に食らいついた、執念の一打だった。

 純粋でまじめな性格。自分なりに巨人の「55」の重圧を背負って戦っていた。1、2年目は1軍で計7打数無安打。抜群の身体能力を高く評価していた当時の岡崎郁2軍監督からは「松井秀喜とタイプは違う」「秋山幸二になれ」「40本塁打40盗塁を目指せ」と言われていたが、思うような結果を出せず焦った。

 重心の高さ、左足の上げ方、バットの位置。試行錯誤した打撃フォームは何度も変わった。「打席で結果を求めすぎて力が入ってしまう」と苦悩。2軍戦のスタンドからは「扇風機」「ブンブン丸」などヤジが飛び、心労で体重が一気に5キロ減った時期もあった。

 迎えた高卒3年目の2011年。1月初旬には「今年が勝負の年。ダメなら終わり」と悲壮感を示した。読書をほとんどしなかった男が、この頃から心理学の本を読んでメンタルトレーニングを始めた。その結果「打席で余計なことを考えない」「来た球をバットの芯に当てるだけでいい」など以前より思考がシンプルで前向きに。当時の大田にとって大きな発見だった。

 この年は亀井、ライアルとの三塁争いに参戦も、インフルエンザでの離脱もあって開幕2軍。それでも2軍で好調を維持し、5月17日の交流戦開幕戦・楽天戦からこの年初めて1軍登録された。翌18日の同カード、自身のシーズン初打席が冒頭のプロ初安打。苦しんだ分、喜びは大きかった。

 その後は外野手に転向。順風満帆とはいかず14年から心機一転、背番号「44」に変更した。巨人では8年間で通算100安打、9本塁打。16年オフに大田、公文と石川、吉川光のトレードで日本ハムに移籍した。

 「ジャイアンツには感謝しかないです。プロ野球の厳しさ、常に安定したパフォーマンスを発揮する難しさも感じた。学んだこと全てを糧にして北海道で全力を尽くします」と決意し、移籍1年目の17年からレギュラーに。昨年は打率2割8分9厘、20本塁打とキャリアハイ。環境の変化に加え、並々ならぬ努力で自ら飛躍の道を切り開いた。

 9年前、仙台の夜空の下で実感した「1本打つ難しさ」や「1本打つ喜び」。あの時の経験は、大田の野球人生で大切な財産になっている。(09~11年、13年~巨人担当・片岡優帆)

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