久保建英、「17年生きて一番の屈辱」F東京で「何で起用されない」指揮官へ直訴…記者が見ていた

19年6月の大分戦でゴールを決めるF東京・久保
19年6月の大分戦でゴールを決めるF東京・久保

 「建英がマリノスに移籍するぞ」。アジア大会に出場するU―21日本代表を取材するためジャカルタにいた私は、日本からの電話に耳を疑った。出場機会の少ない久保が移籍を希望しているとは聞いていたが、本当に17歳が移籍するとは。翌日の移籍期限前日の18年8月16日、久保のF東京から横浜Mへの期限付き移籍が正式に決まった。

 移籍のきっかけは、ロシアW杯後のリーグ再開初戦、7月18日の柏戦だった。久保はW杯にサポートメンバーとして同行。「日本人として多くのことを感じたし、この経験を将来に生かしたい。W杯の異様な雰囲気を肌で感じられて良かった」。はたから見ていても、帰国後のギラギラ感は伝わってきた。そんな中、迎えたリーグ戦。前線に主力の欠場が相次ぎ、W杯前はメンバー外が多かった久保もベンチ入りした。だが試合はF東京が先制。長谷川健太監督はより守備ができる選手を投入し、最後まで声はかからなかった。

 勝利をつかんだ采配だったが、久保にとっては違った。「何で起用されないのか」―。数日後、指揮官を訪ね、疑問をぶつけた。台所事情が苦しい中でもチームに貢献できなかったことに「17年生きてきた中で一番の屈辱でした」とまで言った。後半戦の起爆剤として期待していた指揮官は「努力次第で出場機会は必ず増える」と説得した。それでも自身の理想とはほど遠い現状に、久保は移籍を強く志願。17歳の移籍劇となった。

 数字で見れば、横浜Mへの移籍は“失敗”だ。初先発した8月26日の神戸戦でJ1初得点をマークしたが、チームが残留争いに巻き込まれ、出場機会は減少。5試合の出場にとどまった。

  • 18年8月、横浜Mに移籍し会見する久保

    18年8月、横浜Mに移籍し会見する久保

 だが結果的には“成功”だった。翌年、F東京に復帰すると、キャンプから別人のように攻守にわたってハードワークした。「チームに求められるコンセプトができないと試合に出られないのは当たり前。それを10代のうちに学べたのは大きな収穫だと思っています」。長谷川監督も、その姿勢を正当に評価。開幕スタメンに抜てきした。そこからの活躍はご存じの通り。3か月後にはRマドリードへの移籍をつかみ取った。

 川崎の下部組織時代に当時10歳だった久保を指導していた高崎康嗣さん(現専大監督)は、こう評する。「タケが同じ失敗を繰り返すのを見たことがない。自分を変えていけるし、次は必ず成功に持っていける。失敗でこそ成長できる」。世界一のクラブでも、必ず成功すると確信している。(井上 信太郎)

 ◆18年の久保 プロ2年目となった18年は、開幕戦から途中出場を果たすなど、序盤は攻撃の切り札的存在だった。3月14日のルヴァン杯・新潟戦ではトップチームでの初得点を記録した。だが前線からの守備や運動量が、長谷川監督が求める水準には足りず、次第に出番が減少。チームも前半戦は2位と好調だったことから、主戦場はF東京U―23の一員としてJ3となっていた。

 ◆久保 建英(くぼ・たけふさ)2001年6月4日、神奈川・川崎市生まれ。18歳。小学3年から川崎U―10でプレー。11年4月にバルセロナの入団テストに合格し、同年夏に渡欧。15年5月にF東京の下部組織に入団。17年4月15日のJ3・C大阪U―23戦でJリーグ最年少得点をマーク。同11月にトップチーム昇格。18年8月から期限付きで横浜M加入。19年1月にF東京に復帰し、同7月にスペイン1部Rマドリード移籍。同8月にマジョルカへ期限付き移籍。日本代表では19年6月のエルサルバドル戦で年少2位の18歳5日でデビュー。国際Aマッチ7試合、0得点。173センチ、67キロ。左利き。

 ◆井上 信太郎(いのうえ・しんたろう)1986年1月4日、東京都生まれ。34歳。明大から2009年入社。地方部、野球担当を経て、16年から3年間F東京を担当。

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18年8月、横浜Mに移籍し会見する久保
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