【札幌】JFL優勝とJリーグ昇格を決めた97年の“厚別不敗神話”

1997年、コンサドーレ札幌のJFL優勝に貢献したFWバルデス(右)とマラドーナ(左)
1997年、コンサドーレ札幌のJFL優勝に貢献したFWバルデス(右)とマラドーナ(左)

 1997年は、コンサドーレ札幌の草創期で最も輝いたシーズンだった。ホーム無敗の26勝4敗でJFL優勝、Jリーグ昇格決定。FWデリー・バルデスがJFL記録の40ゴールで得点王に輝き、無失点も16度でリーグ最多タイと記録づくめの目標達成となった。当時は左ウィングバックで暴れまくり、現在は社会人リーグのブリオベッカ浦安でヘッドコーチを務める村田達哉氏(47)が証言する。(構成・石井 睦)

 JFL優勝とJリーグ昇格。97年は「北の大地にコンサドーレあり」を知らしめたシーズンだった。元ウルグアイ代表経験のあるウーゴ・フェルナンデス監督が就任。パナマ代表のFWデリー・バルデス、ディエゴ・マラドーナの弟であるMFウーゴ・マラドーナ、GKディド・ハーフナーら名前も実績もある選手が加入し、陣容は大きく変わった。

 村田氏「どの時代もリーグを勝ち抜くには、得点を取れるかが大事。その点で、デリーは飛び抜けた個の力があった。クロスがちょっとズレてもヘディングで簡単に決めてしまう決定力がある上に、マラドーナとのホットラインで得点力は飛躍的にアップ。頑張って守ればデリーが取る。それがフェルナンデス監督のシンプルな戦術にもはまった」

  • 1997年10月22日、札幌厚別公園競技場での大分戦で勝利し、JFL優勝と、Jリーグ入りを決めて喜ぶ札幌の選手たち
  • 1997年10月22日、札幌厚別公園競技場での大分戦で勝利し、JFL優勝と、Jリーグ入りを決めて喜ぶ札幌の選手たち

 ホームの厚別公園競技場では、96年6月13日の鳥栖戦から97年10月29日のジャトコ戦まで21連勝。「厚別不敗神話」と呼ばれる圧倒的強さを誇った。

 村田氏「なぜか『絶対に勝てる』という不思議な自信があった。慢心ではない。芝に癖があって相手がやりにくいというわけでもなかった。サポーターの力というしか言いようがない。自分にとっては、あんなにたくさんのサポーターに後押しされて試合ができる喜びが大きなパワーだった」

  • 社会人リーグのブリオベッカ浦安でヘッドコーチを務める村田達哉氏
  • 社会人リーグのブリオベッカ浦安でヘッドコーチを務める村田達哉氏

 劇的な試合も多かった。特に川崎戦は5月25日のホーム、9月4日のアウェーともに1―3から追いついて延長Vゴール勝ち(ともにバルデスのゴール)。勝利への執念と神がかり的な逆転で観客を魅了した。

 村田氏「ホームでの川崎戦。3失点目は相手陣内で自分のスローインを奪われたのがきっかけだった。監督がベンチから出てどなりまくっていて…。あのまま負けていたら、その後どうなってたか。デリーのおかげで命拾いしましたね」

 10月22日のホーム大分戦に2―1で勝ち、JFL優勝とJ昇格を決めた。その夜の歓喜のビールかけは忘れられない。

 村田氏「前半はスポーツヘルニアで下腹部や内転筋に寝返りもできないほどの痛みを抱えて戦っていた。中断期間に手術して後半途中から復帰できたが、苦しい思いをした分、喜びも大きかった。ビールかけの時、海パン姿になって思い切りはじけたのを覚えている。自分のサッカー史の中で、何ものにも代えがたいシーズンだった」

1997年、コンサドーレ札幌のJFL優勝に貢献したFWバルデス(右)とマラドーナ(左)
1997年10月22日、札幌厚別公園競技場での大分戦で勝利し、JFL優勝と、Jリーグ入りを決めて喜ぶ札幌の選手たち
社会人リーグのブリオベッカ浦安でヘッドコーチを務める村田達哉氏
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