1928年5月17日、46の国・地域から選手が集まり、アムステルダム五輪が開幕した。1912年ストックホルム大会では2人だった日本選手団は参加4大会目にして43人にまで増え、陸上競技の人見絹枝が日本女性で初めて五輪に出場することになった。主な競技は7月28日から始まり、8月2日に女子800メートルで人見が銀メダルを獲得。日本女性初のメダリストが誕生した。
この大会から聖火が灯されるようになり、開会式では発祥の地ギリシャが先頭で開催国が最後尾、という現在も続く形式ができた。当時は女子が参加できる競技が限られ陸上は初実施だった。参加が認められる前に行われていた国際女子競技大会に、人見は1926年第2回に出場。1人で乗り込んだスウェーデン・イエーテボリで、走り幅跳び世界新、立ち幅跳び優勝、100ヤード3位、円盤投げ2位と大活躍。個人別最高得点で名誉賞に輝いた。
同様の活躍が期待されたアムステルダム五輪では、得意の100メートルでまさかの準決勝敗退。翌日に未経験の800メートルで歴史的快挙を成し遂げた。そのわずか3年後に肺炎のため24歳で急逝。今なお陸上トラック種目で女子唯一のメダルは戦時中に金属供出でなくなったと思われていたが、2000年に親族が遺品の中から発見した。
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