【2016年5月14日】日本ハム・宮西尚生、パ初の200ホールド達成の裏に、人生初のサイドスロー挑戦

日本ハム・宮西が通算200ホールドを達成し、ボードを掲げて笑顔
日本ハム・宮西が通算200ホールドを達成し、ボードを掲げて笑顔
通算200ホールドを達成した日本ハム・宮西
通算200ホールドを達成した日本ハム・宮西

◆2016年5月14日 日本ハム7―3西武(札幌D)

 日本ハム・宮西尚生投手(当時30)が偉業を成し遂げた。3点リードの7回に登板し、代打・外崎を空振り三振、金子侑を二ゴロ、秋山を中飛。完璧な救援でホールドを記録し、パ・リーグでは初めて通算200ホールドを達成した。

 試合後にはお立ち台に上がり「皆さんに支えられて達成できたことなので感謝しています」。これで12戦連続無失点。新人からその前年まで8年連続50試合登板(昨季まで12年間継続)を続ける鉄腕が、安定感ある投球を見せることに驚きはないかもしれないが、その道のりには自身で「奇跡」と表現した大きな決断があった。

 15年オフ。宮西は初めて左肘のクリーニング手術を受けた。「腕の感覚が全くない状態」から始まったリハビリ。時間がたっても、前年までのスリークオーターのフォームでは、リリースポイントが定まらず、球に力が伝わらない感覚が消えなかった。結局、開幕は自身初の2軍スタート。開幕1軍に向けてハイペース調整だったこともあり、開幕後は万全の状態での1軍復帰に気持ちを切り替えた。

 しかし、チームが開幕から10試合を終えて4勝6敗と苦戦。停滞ムードを打破すべく、栗山監督は次の4月8日の楽天戦(コボスタ)から無理を承知で精神的支柱の宮西を1軍に呼んだ。もちろん役割を理解はしていたが、左腕は「このままでは1軍で通用しない。ストライクすら取れない」と悩んでいた。

 それでも出番はすぐに訪れる。翌日の試合。接戦の展開にベンチからは当然のようにスタンバイ指令が出された。不安しかない中、ブルペンのマウンドに立った時、開き直ってある覚悟を決めた。

 「サイドから放ろう」

 周囲から見たら変化はわずかかもしれないが、「1ミリでも(肘の位置を)変えたら、それこそ1メートルくらい変わっている感覚」と宮西は言う。それにも関わらず、試合中のブルペンで初めてサイドスローに挑戦することを決断し、2点リードの7回から登板して結果は2失点も「このフォームでいける」と手応えをつかんだところに鉄腕のすごみを感じずにはいられなかった。

 言葉通り、登板2戦目から冒頭の200ホールド到達した試合も含め29試合連続無失点を記録。その後もサイドスローで投げ抜き、終わってみれば58試合で3勝1敗2セーブ39ホールド、キャリアハイの防御率1・52。最優秀中継ぎ投手賞も初受賞した。

 チームも日本一に輝き、最高のシーズンを終え、ふと口にした言葉が印象深い。

 「本当に奇跡だった。もう1回やれと言われても出来ない。それくらい大きく変えたから」

 「奇跡」のシーズンを経て、18、19年にも最優秀中継ぎ投手賞を受賞。18年には目標としてきた巨人・山口鉄也の273ホールドを抜き、現在337ホールドで歴代最多を更新し続けている。プロ12年間で中継ぎだけで684試合に登板している鉄腕には、抑えて当たり前、打たれたら責任を背負う、という過酷な役割を支えているある思いがある。

 「球も速くないし、たくさん球種があるわけじゃない。入団した時は体も細いし、フォームもグチャグチャで、周りからはすぐに壊れて2、3年で終わるって見方をされていた。それでも、ここまでやれている。だから球が速くなくても、球種が少なくても、考え方や自分との向き合い方次第でリリーフって生きる道があることを示したいし、広げていきたい。そのためには投げ続けるしかないよね」

 日頃からフォームのタメや手首の角度に微妙に変化を加え、打者を抑えるために最善の努力を続けてきた。生きる道を模索し、自らと向き合い続けてきたからこそ、あの時に「奇跡」は生まれたのだろう。(14~17年日本ハム担当・後藤 亮太)

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