巨人の岡本和真内野手(23)が母の日の10日、地元の奈良に住む母・智代美さんに対して「面と向かって伝えたことはない」と照れくささを見せつつ、「感謝しています」と思いを口にした。18年の母の日には、プロ初となる反対方向への一発が飛び出すなど活躍した。新型コロナの影響で今年は試合がなかったが、母親思いの4番は感謝を胸に今年も成長した姿を届ける。
いまや若大将と呼ばれるまでに成長を遂げた岡本だが、そんな大活躍は、本当のビッグベイビーだった頃から手塩にかけて育ててくれた母の愛情があってこそだ。「毎年、何かしらプレゼントはしてますね。直接、面と向かってなかなか感謝は伝えたことはないですけど、感謝しています」。この日は母の日。照れくささの中にも、母親思いの一面をのぞかせた。
1996年6月30日、奈良・五條市で生まれた。「人との和を大切に、その真ん中にいる人物になってほしい」―。「和真(かずま)」という名前には、両親のそのような思いが込められている。母・智代美さんが作る栄養満点の食事ですくすく成長していった和真少年は、軟式野球チーム「カインド」で野球を始めた小学1年の時には160センチサイズのユニホームを着るなど規格外だった。
小学2年で人生初アーチを放ち、4年になる頃には上級生たちを差し置いて、4番を任されるようになった。中学時代には日本代表の4番として全米選手権優勝。名門の智弁学園高(奈良)でも1年秋から4番に座り、母からもらったお守りをユニホームに忍ばせてアーチを量産した。両親の願い通り、いつもみんなの中心にいる男となった。
プロ入り後、心の支えとなってくれたのも智代美さんだ。1年目の15年は8月後半から1軍初昇格。母と連絡を取り合う中で気持ちを落ち着かせつつ、闘争心を奮い立たせた。「優勝争いの貴重な時に1軍にいられて幸せ」。グラウンドでは感情を出さずにプレーしていたが、そんな本音も母にだけは打ち明けていた。
新たな境地を切り開いた裏にも、母の力があったのかもしれない。18年5月13日の中日戦(東京D)は、母の日の一戦。打席に入る際の登場曲を「AI」の「ママへ」に変更して臨むと、14試合ぶりとなる6号3ランを右翼席へたたき込んだ。今では当たり前のように広角に打ち分けるが、これがプロ初となる逆方向への一発だった。「母の日だったので打ててよかったです」。試合後にはそうコメントした。
この日はG球場で個人練習し、屋外での打撃や守備練習で調整した。制限された状況下でのトレーニングが続いているものの、「今できることを、限られた時間の中でやるしかない」と、スローボール打ちなど工夫して取り組んでいる。今年は開幕が遅れたため母の日に試合ができなかったが、感謝弾はしっかり届ける。(尾形 圭亮)