青学大・原晋監督「大河の流れも一滴のしずくから」箱根駅伝王座への一歩を踏み出した大先輩に敬意

原晋監督
原晋監督

 今年の第96回箱根駅伝(1月2、3日)で2年ぶり5度目の優勝を果たした青学大の原晋監督(53)は9日、老衰のため3日に97歳で亡くなった大先輩の森豊さんに「大河の流れも一滴のしずくから、という言葉があります。今の青学大があるのも森さんをはじめ、多くの先輩が走り続けたから、と思っております。お疲れ様でした、ありがとうございました、と心から申し上げます」とお悔やみと感謝の言葉を送った。森さんは青学大が箱根駅伝に初出場した1943年(昭和18年)の第22回大会で1区を務めた。

 箱根駅伝は戦争の激化した1941年、軍部からの圧力によって、一時中止に追い込まれた。だが、学徒動員で戦地に駆り出される学生たちの中には「死ぬ前にもう一度、箱根駅伝を走りたい」という願う選手が多かった。学生たちの強い願いによって、戦時中の43年に靖国神社を発着点として「戦勝祈願」という名目で「紀元二千六百三年 靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬縦走大会」が開催された。参加は11校。初出場だった青学大の第1区を走ったのが、森さんだった。個人成績も、青学大の総合成績も最下位だったが、現在の栄光へとつながる青学大の記念すべき第一歩を踏み出したのは、森さんに他ならない。

 この大会を走った学生の多くはその後、兵役で戦地に駆り出されて戦死した選手も。森さんも大会後には、広島の輜重(しちょう)部隊を経て、激化していた中国戦線へ。当地で陸軍少尉となった。転属命令を受けて列車で満州(中国東北部)へ向かう途中で終戦を迎えたという。

 生き残った森さんは「箱根駅伝を走って靖国で会おう」と誓い合った多くの仲間たちが戦死していった悲しみが、ひと時も忘れられなかったという。箱根駅伝を走ったことは心の奥底にしまい込み、家族にも語らなかった。家族たちが初めて知ったのは2015年に青学大が初優勝し、その歴史がクローズアップされた時だった。

 2017年の正月。森さんはゴール手前で車いすに乗って、自身が駆けた1943年以来、74年ぶりに箱根駅伝に“参戦”。母校の総合優勝が決まると、当時の記憶がよみがえったのか「うれしい」と声を絞り出し、目にうっすらと涙を浮かべていた。

 18年、19年にも復路ゴール近くの沿道で観戦したが、今年は体調が優れなかったため、テレビで観戦。付き添っていた長女の平野みどりさんによると、前年に東海大に敗れた総合優勝を奪回する瞬間「すごく喜んでいました」という。

 この日、スポーツ報知の電話取材に応じた原監督は、しみじみと話した。

 「青学大は箱根駅伝において新興校というイメージがありますが、実は、長い長い歴史を持っています。森さんをはじめ多くの先輩が苦難の中、走り続けたからこそ、今があるということを忘れてはいけない。新型コロナウイルス感染拡大の影響で非常に厳しい状況にある今、箱根駅伝を築いた先人の方々の努力を深く考えたい」

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