女優の今田美桜(23)がTBS系「半沢直樹2」(近日放送、日曜・後9時)で半沢を尊敬する新入社員役で出演する。年明けに放送されたスピンオフ企画「半沢直樹 エピソードゼロ」での役を受け継ぐ形だが「本編出演はうれしさより緊張の方が大きかった。でも堺雅人さんにお会いできて感激しました」と振り返った。昨年から「3年A組―今から皆さんは、人質です―」を始め「ドクターX」「ケイジとケンジ」と話題作に出演しているが「毎回勉強になることばかり」とも。芸能界に興味がなかった高校生が注目No.1女優へ成長した裏には、天職に出会えて芽生えた執着心があったようだ。
銀行を舞台にした経済ドラマ「半沢直樹」は、当時学生だった今田には難しい内容だった。改めてドラマ全編を見直した時に作品力の高さを感じたという。
「放送された7年前は私まだ学生で、専門用語も多い大人のドラマというイメージで、学校で話題になるというより両親が見ているのをたまに目にする感じでした。この世界に入っていろんな所で『半沢』っていう言葉を聞くようになって、視聴率を含めて『こんなにすごいドラマだったんだ』って思うようになりました。改めてDVDで見直したら全10話を1、2日で見終わりましたね。もう次が待ち遠しくなる感じで、あの時にちゃんと見ておけば良かったなって。でも堺さんの『倍返しだ』とか香川(照之)さんの土下座シーンとかの映像は覚えているですね。やはり迫力があったからでしょうか」
―出演が決まってうれしかった。
「『エピソードゼロ』の時にはまだ本編への出演が決まっていなくて、台本の最後に『部下になる』ってあったので『えっ、部下にはなるって何…。本編はどうなるんだろう』と、モヤモヤした気持ちはありました。正式に決まった時には『やった』といううれしい気持ちよりも緊張が大きかったですね。本編となると、ちょっと大人のステージになったというか、本当に会社に入った感じがしました。前回の『―ゼロ』では情報システム部で今回は営業企画部。規模も違うし人数も多かったので緊張感も段違いでした」
新入社員・浜村瞳を演じる上で思う事もあるようだ。
「顔合わせの時に監督さんが『当時(7年前)は男性に見てもらいたい思っていた』とおっしゃっていました。確かに今回私が証券会社にいますけど、7年前の職場はほとんどが男性。今は徐々に女性が社会に進出していますが、それでもまだ男性が多いじゃないですか。私のお父さんも職種は違いますが『こんな感じなのかな』とも思いました。瞳はやる気があるのに『帰れ』とか、今時の新入社員さんのように定時に帰されたりとかしますが、そこで瞳は半沢部長と出会うことでどんどん変わっていくんですね。役で上司の堺さんにあこがれていますが、私もずっとお会いしたかったので初めてお会いした時には感動しました」
昨年は「ドクターX」で津軽弁丸出しの看護師、今年は「ケイジとケンジ」で刑事役を演じている。
「津軽弁はなかなかイントレーションがまったくできなくて、ずっと方言指導の方に付いてもらったんですが、一瞬でも離れるとすぐに忘れちゃんです。難しい上にさらに感情を出さなきゃいけない。感情を出すとまた方言が変わってきたりして。で、正解じゃないイントネーションで感情を出しちゃったりとか。相手が標準語なのでつられちゃったりもするで大変だったです。でも手術室に入ったりできて、医療モノ初めてでしたが社会勉強にもなりました。で、その次も初めての刑事モノ。医療モノとは違う言葉の難しさもありました。事件が起きる度に、人の名前がたくさん出てくるじゃないですか。けっこうそれを覚えるのも大変なんです。事件の名前だったり、どういった傷なのかとか。勉強になることも多かったです」
昨年、話題となった「3年A組」は、熱量の高い現場で忘れられないという。
「生徒が監禁されるドラマだったので、朝から晩まで教室にいて先生の菅田(将暉)さん始めたくさんの刺激をいただきました。すごい現場だったと今でも思います。もうあれだけメンバーなかなか揃わないと思いますよ。教室に絶対29人の生徒がいる状態なので、みなさんのぶつかり合いがすごかったです。私、一番後ろの席で、そこから教室を見ていると、役的にどっか冷めているのもありますが『みんなぶつかっているから私も前に行かなきゃ』とは思わなかったですが、座っているだけで熱量が感じられるいい席でした」
演じた諏訪唯月にはずっと孤独感を感じていたそうで、その中でも忘れられないセリフがあったという。
「唯月は女の子を裏で牛耳っていて、常に日比美思ちゃんと福原遥ちゃんの2人が隣にいる。仲はいいんですが片寄(涼太)さんがやっていた甲斐軍団と呼ばれる殴り合いながら自分の本音を吐き出す友情とはまた違っていて、簡単に裏切られたりとかするんですね。今でも忘れられないセリフがあるって(自分のウソが)ばれて軽蔑する目で見られた時に『私はこうして生きるしかなかった』というセリフなんです。唯月は読者モデルをやってて、みんなから持ち上げられていた部分は捨てらないんですね。ずっと本音を明かさず一人で苦しんでいて、演じながら孤独、寂しさを抱えていると思っていました」
この世界に入ったきっかけはスカウトだったが、本気で芸能界を目指していなかったそうだ。
「博多のゲーセン前の道でスカウトされました。当時は普通に大学に行って普通に就職する―っていう人生を送るんだろうなって思っていました。高校生だったので両親とも相談してレッスンも習い事感覚でやってました。学業優先だったので最初はオーディションもまったく受けず、しばらくは学校帰りにレッスンに通ってました。お芝居の他にモデル事務所だったので、ウォーキングのレッスンありました。他に生徒さんもいてその前で歩く。大きな鏡の前で歩いてターンするとか。めちゃ恥ずかしかったですよ。初めて見学にいったのが演技のレッスンで、毎週A4の紙1枚くらいのちょっとした1シーンのセリフをみんなでやるんです。『こんな風にやるんだ』とびっくりしちゃって、恥ずかしくって自分にはできないと思った記憶があります。お母さんと一緒に行きましたが帰り道に『すごかったね』と話しながら帰りました」
―そこから心境に変化が。
「しばらくレッスンに通い始めると、恥ずかしさも段々なくなってきて…。人前でやるというよりは表現するというのが楽しくて、もっとやってみたいな~と気持ちが変わってきました。ある時にCMのオーディション話があって、それまでは断っていましたが、そのCMにはどうしても出たくて。よくしてくれていた先輩が出演していて『すごいかわいい』って思ったんですね。ちょっと変わったことするCMで、私やった時はクリスマスシーズンだったので、頭にツリーを作ったりしてました(笑い)。初めて受かった福岡では大きなテレビCMで、撮影現場も楽しくて『もっともっとやってみたいみたい』ってスイッチが入った瞬間でした。それは声をかけられて半年後ぐらいですの頃ですね」
高校を卒業して博多を拠点に活動していたが、常に危機感を持っていたという。
「卒業して1年間は福岡が拠点でした。東京に行きたい気持ちもあったんですが、行ってどうしたらいいのかもさっぱり分からなくて、ちょくちょく東京でオーディション受けに行ったりしていて、落ちて帰ってきたり、受かってお仕事して帰ってきたりとか。そういうことをしていて『これでいいのか』というのはずっとありました。でも上京しても日々も仕事があるわけでもないし、どう生活していくのかも分からない。で、本当にめちゃくちゃ迷っていました」
―両親は応援してくれた。
「最初は両親も反対で。『大学に行きながらできるんじゃない』と言われたんですけど、何のために大学行けばいいのか全然分からなくて、あれだけ高い学費を払ってもらってまでだったら、オーディンだったりとか受けられる時に受ける方が勉強になると思ったので、大学に行きたくなかったし、そこで単位を取らなきゃいけないとか、いい仕事のタイミングがあった時に『学校があるからいけません』といいたくないなと思って、どうしても仕事一本でいきたいと。じゃあ条件をつけて『22歳までに形にできなかったら』というの約束を両親としてたので、その期限が『あと3年』とかめちゃくちゃ迫ってくる感じでした。何のきっかけもない時に、今の事務所の社長が私を見つけてくれて『今だ』と思って、それが人生の大きな転機でしたね。この時は父がけっこう熱心に(事務所を)調べてくれて『ここにお願いしよう』って。私が東京に行こうか悩んでいたのは知っていたので、もう引き留めもなかったですね」
上京後はオーディションの落選が続いたが、徐々にドラマ「花のち晴れ」で知名度を上げ女優としての地位を確立したが…。
「役者としてやっていけるかどうかはまだ分かりません。毎度毎度『ダメだな。大丈夫かな』と思っていますが、やっていけそうだなと思うのは勉強が多い分、悔しい事も多くて『好きだから悔しいし、もっと頑張りたい』。そう思うことが役者を続けるエネルギーになっています。この仕事をするまでは悔しいと思う事とか絶対に譲れないみたいなのはなくて、何か取られたら取られたで『まっいいか』ぐらいしか考えてない。塾に行って点数取れなくて悔しいとかないし、ピアノの進級試験で落ちても『また次がある』ぐらいにしか思わなかった。そこに執着はないし、プラス飽き性だったのもあるんですけど…。今はオーディションに落ちると、その役は誰かがやるんですが、その誰かに対してではなく自分ができなかった事が悔しくなりました」
―仕事が意識を変えた。
「やっぱり変わったんですかね。やりたいことが初めて見つけられたんです。両親に何度も『大学行った方いい』といわれて、それは分かるし今までだったら、親がここまで言ってくるなら『疲れるからもういいや』になった人だったんです。それが『そこは譲れない』っていうぐらいこの仕事が好きになりました(笑い)」
―最後に素になれる瞬間は。
「休日はインドア派なので家にいることが多いです。これといった用事がないと外には出ないですね。素というか一旦リセットできるのは…。う~ん、いろいろ考え事して頭がパンパンになった時、一回リセットできるのは泣いた時です。自分がいっぱいいっぱいになって、よく分からなくなってきちゃって。で、泣くんです。今まであんまり泣くのってよくないなって思ってはいたんですけど、今はいいのかどうかは分かりませんが、ストレス解消法というかリラックスするための一つの方法でもあるかなと思っています。仕事で緊張に押しつぶされそうなったりとか、自分に余裕がなくなっちゃた時に一旦、涙を流すことで一からまた切り替えることができます」 女優という天職を見つけ、道を一歩一歩拓いていく。迷いがなくなった23歳の進化が楽しみだ。(ペン・国分 敦、カメラ・小泉 洋樹)
◆なんとなく中国語学ぶことに
3クール連続でドラマ出演しているが、難しい役はあったのだろうか。
「う~ん、そうですね。『ケイジとケンジ』で悩んだ時ありました。刑事役の毛利ひかるちゃんはツンケンしていてかっこいいですよ。でもドライな一方で(男性に)モテたいとか女性としての部分もあるから葛藤だったりがあるんですね。そこをどうやって出したいいのか。しかも作品がコメディーの面があったので…。5話だったか、ひかるちゃんが合コンに行ったりするシーンがあって、そこはすごく女の子だったりするんです。それまでひかるのプライベートを出すシーンがなくて、ちょっと女性としての所があった方がいいか。刑事課での立ち居振る舞いがどこまでのクールだっただけに、もっと男らしくいった方がいいのか。最初は難しかった部分ありました」
上京後はオーディションで落選が続き、仕事が決まらなかった時期があったが、忘れられない審査もあった。
「最初の頃、オーディションは受けては落ちての繰り返しでしたね、グループになって受けるので名前がある人と一緒になったりして『この人テレビで見た事ある』『あ、これ絶対に落ちたな』とかけっこうありましたね(笑い)。印象に残っているのは映画のオーディションで広瀬すずさんが主演した映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』ですかね。落ちたんですけどすごい楽しかったなというイメージなんです。1990年代のギャルのお話で、大食いの子がいたりクールな子がいたりモデル役の子もいました。いろんな役をやらせていただいて、実際映画を見たら『こうなっていたんだ』って。そういう意味で印象に残っています。もちろん落ちたことは悔しかったですけどね」
趣味は外国語の勉強で、中国語を学んでいる。
「上京して来た時に何か一つ外国勉強させていただけるということで、英語もしゃべれないんですけど、なんとなく中国語ってなって。周囲から身長も高くないし『ハリウッド顔じゃない』っていわれたんですよ(笑い)。勉強始めた時から楽しくなってきちゃって、先生を呼んだ教えてもらったりしていたんです。今はちょっと忙しくなってきて、時間が空いたらになっていますができる時になっています。まだ言葉を操るレベルに達していませんが、もし上達してしゃべれるようなったら中国にも行ってみたいですね」
◆今田 美桜(いまだ・みお)1997年3月5日生まれ。23歳。福岡県出身。17歳の時に、福岡でモデルデビューし、その後、上京し“福岡で一番かわいい女の子”として話題に。2015年に「罪の余白」で映画デビュー。以降、ドラマ、CMで活躍し、18年に「花のち晴れ~花男 Next Season~」でブレイク。昨年は「3年A組―今から皆さんは、人質です―」「ドクターX」など話題作に出演した。趣味は語学勉強で中国語を勉強中。特技は博多弁の早口言葉、殺陣、アクション、乗馬。血液型A。