横浜の新監督に就任した村田浩明氏、名門立て直しへ決断した恩師・渡辺元監督からの一言

スポーツ報知
改修が進むグラウンドで母校愛を語る村田浩明監督

 4月1日、甲子園で春3回、夏2回の優勝を誇る横浜(神奈川)の新監督に、OBの村田浩明氏(33)が就任した。捕手として、03年センバツの準優勝、04年選手権のベスト8に貢献。昨年9月、部員への暴言や暴力行為が認められたとして当時の監督、部長を解任した同校が、男女共学となる新年度のリーダーとして白羽の矢を立てた。就任日の会見に出席し、一つ一つの言葉に強い母校愛を感じ取った浜木俊介記者は、再び同校に足を運び、「横浜高校」というブランドの持つ意味について尋ねた。

 緊張の面持ちで述べた冒頭のあいさつが、心に残っている。「18年前に1年生として門を叩いた時の夢と希望。そして不安。そうした記憶が、よみがえってきたところです」―。母校への愛情。そして、横浜高校という存在の大きさ。村田監督は、会見時の思いを改めて語った。

 「監督という感覚は、私の中にはありませんでした。中学を卒業し、親元を離れて寮生活。これが横浜高校か…。頑張るんだ。ここで絶対に甲子園へ行って、プロ野球選手になって…。消しても消えないような感覚。今は昨日のことも忘れてしまうくらいなのに、18年前が、ポンとよみがえったような。そのぐらいの決意、覚悟がありました」

 小学6年生だった98年。松坂大輔(西武)を擁し、甲子園の春夏制覇を果たしたチームに憧れた。

 「やはり、松坂さんの存在は大きかったですね。ただ、横浜は抜きん出た存在。行きたいんだけど、決断できない自分もいました。所属していた川崎北シニアでは、いい選手は東海大相模、甲府など、東海系列の高校に進みます。過去、横浜に行ったのは1人だけ。それでも、最後は『ここで勝負したい』と決めました。横浜が夏の甲子園で優勝した日、私は神奈川県の少年野球の大会で準優勝だったんです。翌日の新聞に、渡辺(元智)監督の顔写真と私のピッチングフォームが一緒に載っていて…。そんな縁もありました」

 横浜では、捕手として2年春(03年)のセンバツに出場。1学年上の成瀬善久(BCリーグ・栃木)、同期の涌井秀章(楽天)とバッテリーを組み、準優勝を果たした。翌年夏の甲子園では、主将として8強入りに貢献した。渡辺監督と名参謀として知られる小倉清一郎コーチのもと、濃密な3年間を過ごした。

 「甲子園は、全てが一瞬で終わってしまうみたいな感覚。それくらい、夢中になれる場所でした。思い出に残っているのは、試合よりもその前の準備です。小倉コーチが収集した、ものすごい量のデータ。渡辺監督のゲーム戦略のミーティング。それだけの準備をして試合に入っていって、結果的に勝っている。そんな感じでした」

 04年夏は、涌井だけでなく、石川雄洋(DeNA)、福田永将(中日)と、個性的でレベルの高い選手がそろっていた。主将の責務には、信念を持って取り組んだ。

 「個の力が強すぎたので、まとめるのは大変でした。『俺が俺が』というエリートばかり。だからこそ、意思の疎通が取れた時は強かった。自分はグラウンドへ一番に来たり、一番声を出したり。監督、コーチにも一番向かって行きました。主将になった秋は、優勝候補だったのに2回戦負け。そこから春の県大会、関東大会を優勝し、夏の県大会決勝を勝った時は、インタビューが終わった瞬間、仲間が胴上げしてくれました。それも、渡辺監督の前に。うれしかったですし、自立したチームを目指す横浜高校らしい。そう思います」

 甲子園での最後の試合となった、04年夏の準々決勝・駒大苫小牧戦。1―6で敗れてベンチ前に整列した時、渡辺監督から思ってもいない言葉をかけられた。「ここに戻って来い」―。強烈なメッセージだった。日体大で教員免許を取得。卒業後は霧が丘の野球部長を経て13年秋に白山の監督に就任し、18年夏の北神奈川大会で8強に導いた。

 「大学生の時に2年間、横浜でコーチとして勉強させてもらいました。渡辺監督に『残るか?』と声をかけていただきましたが、公立で勝負したいと考えていました。神奈川の県立校は長い間、甲子園に出ていません(1951年の希望ケ丘が最後)。横浜で行くよりも、大きなことが出来る。そう思ったんです」

 横浜の監督を引き受けることは、人生を変える決断だった。昨年9月、部員への暴言や暴力行為によって当時の監督、部長を解任するというショッキングな出来事があった。揺れる名門を支えたのは、村田監督が甲子園でプレーした04年夏の横浜に憧れて進学し、学生コーチ時代の教え子でもある高山大輝監督代行(28、現ヘッドコーチ)だった。

 「まさに縁ですよね。伝統と歴史は、こうして作られるんだと実感しました。高山君が苦しんでいたのは知っていたし、一緒にやりたいと思っていました。横浜高校に決めるにあたっては、渡辺監督、小倉コーチの家に何度か行きました。最後は、渡辺監督の一言。恩師であり、半世紀にわたって野球部の歴史を作られてきた方に『お前しかいない』と言っていただけた。小倉コーチには『お前が行って立て直してほしい。俺が出来ることはやってやる』と。かつて、渡辺監督から『愛情が人を育てる』という言葉を何度もいただきましたが、本当に愛情のある方々です」

 新型コロナウイルスの感染防止のため、就任後に練習できたのは1週間だけだった。夏の大会の開催についても不透明。最も気にかけているのは、高校野球のラストシーズンを迎える3年生のことだ。

 「仮に5月半ばから野球が出来たとして、大会まで1か月半。彼らの人生の中ではわずかな期間ですが、その1か月半で人生が変わりますし、自分も変わった人間です。だから、全国のどのチームよりも3年生への思いは強いと思っています。3年生を、どう勝たせるか。そして『横浜でよかった』と思って卒業してもらいたい。それだけを考えています」

 学校の協力を得て、荒れていた練習場の土の入れ替えを行った。胸に「YOKOHAMA」のロゴが入ったウィンドブレーカーを着てグラウンドをチェックする村田監督。伝統のグレーのユニホームで球場に立つ姿を見たくなった。

 「子供たちには、気持ちよく戻って来てほしいですからね。試合着は手元にありますが、まだ袖を通していません。特別な思いがあるので、その方がメンタル的にパワーアップできるかなと思っています」

 全ては選手のため。舞台を整え、母校愛を充満させながら、グラウンドに元気な掛け声が響く“その日”を心待ちにしている。

 ◆横浜(横浜市)1942年に横浜中(男子校)として創立。48年から現校名。野球部は45年に創部。甲子園出場は春16回、夏18回。73年春、80年夏、98年春夏、06年春と5度の全国制覇を果たしている。松坂大輔、筒香嘉智(レイズ)ら多くのプロ選手を輩出。

 ◆村田 浩明(むらた・ひろあき)1986年7月17日、神奈川県生まれ。33歳。横浜で捕手として活躍し、2年生だった03年春の甲子園で準優勝。3年時は主将となり、夏の甲子園でベスト8。日体大卒業後、霧が丘で部長。13年秋から白山で監督となり、18年夏の北神奈川大会で8強入り。保健体育科教諭。

 ◆渡辺 元智(わたなべ・もとのり)1944年11月3日、神奈川県生まれ。75歳。横浜では外野手。神奈川大に進学したが、肩の故障で中退。65年に横浜のコーチとなり、68年に監督就任。2015年夏の勇退までに、甲子園で春3回、夏2回優勝。甲子園通算51勝は歴代4位タイ。

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