渡辺晋・前仙台監督が退任後初激白「自粛でもスポーツ、エンタメ情熱の火消さないで」

スポーツ報知
川崎との試合前にサポーターにあいさつするベガルタ仙台イレブンとスタッフ。渡辺氏お気に入りの1枚(2011年4月23日撮影)

 昨季まで6季、J1仙台を指揮した渡辺晋前監督(46)がこのほど「とうほく報知」の電話取材に応じた。監督退任後、単独取材に応じたのは今回が初めて。2001年、当時J2だった仙台に加入すると、選手として4季プレー。04年の現役引退後はコーチや、ヘッドコーチを歴任した。現役時代も含めると19年間もベガルタを支えた渡辺氏が、最も印象に残っている試合とは? 「あの時 特別Version(バージョン)」と題し、紹介する。(取材、構成=高橋 宏磁)

 監督退任後、テレビや新聞、雑誌を含めて、どの媒体の取材にも応じていなかった渡辺前監督。「退任会見が自分の中での区切り」という意向もあって、あらゆる取材依頼を断り続けてきた。その渡辺氏が、退任後初めて単独取材に応じてくれたのには理由がある。

 「新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、今は皆さんが我慢されている状況にあると思います。在宅勤務であったり、外出を自粛されたり。様々な形で辛抱をされたり、苦しんでおられると思います。それでも、サッカーへの情熱は失って欲しくないという想(おも)いから、私にも何かできることがあればと考え、取材に応じさせていただきました」

 渡辺氏が、ずっと大事にしている写真がある。コーチ、監督時代を含めて約9年。その写真は、常にクラブハウス内の自身の机の上に飾られていた。実は本紙カメラマンが撮影したものを、私が手渡したものだ。A4サイズのその写真を「当時の想いを忘れたくない」という気持ちから、常に目につく場所に飾り続けていた。

 「東日本大震災発生後、リーグ再開初戦となった2011年4月23日のアウェー川崎戦。試合開始前、全選手と全スタッフでサポーターへあいさつに訪れた場面を撮影したものです」

 試合は2―1で逆転勝利。試合後、渡辺コーチは手倉森誠監督(肩書きは当時)と抱き合って泣いた。試合の内容も含めて、あらゆる瞬間全てが忘れられない。だがその中でも、特に試合前の光景が忘れられない。

 「試合に勝って、涙が出ました。試合後は(手倉森)誠さんとも抱き合って泣きました。でも、勝ってうれしいとかではない。喜びだけではなく、複雑な感情が入りまじっていたことを覚えています。それはなぜか。今思うと、全てはあの写真に凝縮されていたんだと思います」

 通常であれば、試合開始前に全選手と全スタッフが総出でサポーターの元を訪れることはない。だが11年3月の東日本大震災発生後、リーグ再開初戦となった同日の川崎戦(等々力)は特別だった。手倉森誠監督の意向もあって、あえて試合前に応援席へ出向いた。雨の中、約2800人ものサポーターが総立ちで出迎えてくれた。

 「皆さんが大変な状況にいたはずです。でもそんな中、大雨が降る等々力に、仙台からたくさんの方が駆けつけてくれました。そのことが、ものすごく嬉しかった。サポーターという言葉にもあるように、一般論としては、サポーターはチームを支える存在だと思います。でも我々は震災後、『被災地の希望の光になる』というスローガンを掲げて活動を再開しました。全員で被災地に出向き、ボランティア活動も行いました。『被災地の方々を勇気づけるんだ』という意気込みで準備を重ね、試合に臨みました。そこには、我々が皆さんの力になるんだ、という想いがありました。でも試合前、サポーターの表情から『心配すんな』、『俺たちと一緒に乗り越えよう』という想いを届けてもらったのです。支えられているんだということを改めて実感しました」

 震災後、チームは仙台市内で練習することもできなかった。市原市などの協力を得て、千葉や埼玉で約20日間のミニキャンプを行ってリーグ再開に備えた。市原市の厚意により、同市内の練習場の使用料金、数十万円は無料となった。被災地だけではなく、それまでに支えてくれた全ての人々への『想い』があった。

 「震災後は仙台で練習することができず、千葉と埼玉で練習を行いました。その練習ができたのも、支えてくれる方々がいたからこそ。それがすごくありがたかった。サッカーをやれるのは当たり前ではない。そのことを絶対に忘れないよう、あの写真を飾っていました」

 14年途中の指揮官就任後も、常に忘れなかった感謝の気持ち。そしてサッカーができることの喜びと尊さ。サポーターを含め、様々な人に感謝しているからこそ、今伝えたいことがある。

 「2001年、仙台に加入するまでは、どちらかと言うと自分のためにプレーしていました。『もっとうまくなりたい』とか『もっといいプレーがしたい』と思っていました。でも仙台に来て、(2001年の)J1昇格の時の盛り上がりや、(03年の)J2降格の時の落胆ぶりを見て、サポーターのためにプレーすることの大切さを、彼らから教わりました。だからこそ、僕は現役を引退した後も『仙台に何か恩返しがしたい』という想いでやってきました。サポーターとは本当に支え合える、助け合える存在だと思っています。今は日本全国のみならず、全世界が苦しみの中、辛抱している時。サッカー、野球などのスポーツだけでなく、演劇など様々なエンターテインメントが行われていません。でも、もし皆さんの心の中にこれまで情熱を傾けていたものがあったとしたら、どうかその火は絶対に消さないでください。どうか、その情熱は持ち続けてください。必ず、いつか再開されます。その時期は分からない。もしかしたら無観客かもしれない。ですが、必ず再開されます。だからその想いは絶やさずに持ち続けて、いざ再開された時には思いっきり爆発させてもらいたい。『想う力』は必ず届きます。それは、あの2011年を経験した私がよく知っています」

 ◆渡辺 晋(わたなべ・すすむ)1973年10月10日、東京・西多摩郡日の出町生まれ。46歳。DFとして桐蔭学園高、駒大を経て98年に札幌入り。甲府を経て、01年に仙台に入団。同年はJ2で36試合に出場。チームは2位に入り、東北のクラブとしては初となるJ1昇格を果たした。03年はJ1で年間総合15位に終わり、J2降格。2004年に引退。05年に仙台の下部組織のコーチ、08年にトップチームのコーチに就任。14年4月、ヘッドコーチから監督に昇格。クラブのOB監督は19年まで6季に渡って、指揮官を務めた。18年の天皇杯ではクラブ史上初めて決勝に進出するも準優勝。184センチ、71キロ。

 ◆2011年4月23日、川崎対仙台戦VTR 大雨が降る中、仙台は前半37分に先取点を奪われると終始劣勢。だが、選手は誰も諦めなかった。1点を追う後半28分、FW太田吉彰が「両足がつった状態」でもこぼれ球に反応し同点ゴールを入れた。同42分にはDF鎌田次郎が頭で合わせて値千金の決勝弾。逆転勝利となった。

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