優勝・ラッシャー木村、3位・ジャンボ鶴田の「日本リーグ争覇戦」で2位だった実力者は…金曜8時のプロレスコラム

「ミック博士の昭和プロレスマガジン」の裏表紙を飾ったプロフェッサー・タナカ(左)とディーン・ホー
「ミック博士の昭和プロレスマガジン」の裏表紙を飾ったプロフェッサー・タナカ(左)とディーン・ホー

 令和になっても昭和プロレスを愛する人は多い。マニアックすぎる「ミック博士の昭和プロレスマガジン」(昭和プロレス研究室、1000円)が届いた。2月に京都で開かれたプロレス文化研究会(プロ文研)で知り合ったミック博士の“助手”存英雄氏から送られてきた。

 「関西の地にプロレスをテーマとした個人出版を50号以上も続けているような“まれに見るアホが実在する”という事実を大いに笑っていただけましたら」との手紙が添えられていた。「ミック博士の昭和プロレスマガジン」の存在は知っていたが、実際に手にとってみて、この人たちには勝てないなと敬服せざるを得なかった。

 最新第51号は、表紙をのぞいて168ページの大作だ。グラビア12ページと記事部には1ページ4段構成で活字がびっしり。とてつもない情報量だ。メインテーマは【特集】国際プロレスリーグ戦の歴史(後編)。巻頭特集はマイティ井上インタビュー。表紙は国際プロレス末期の「ルー・テーズ杯争奪リーグ戦」(1981年)のルーク・グラハムら後期リーグ参加者6人の集合写真。裏表紙は国際プロレス「日本リーグ争覇戦」(1978年11月)に出場した日系レスラーのプロフェッサー・タナカとディーン・ホー。マニアックすぎて絶句するしかない。

 この「日本リーグ争覇戦」が興味深い。国際プロレスと全日本プロレスの対抗戦時代で、参加者は<Aブロック>マイティ井上、大熊元司、ミスター・サクラダ、ロッキー羽田、梁承揮、プロフェッサー・タナカ、ミスター・ヒト、グレート草津、<Bブロック>寺西勇、キム・ドク、グレート小鹿、ディーン・ホー、ミスター・セキ(ポーゴ)、石川孝志、ラッシャー木村、アニマル浜口。特別シード選手として当時UN王者で全日本の“若大将”ジャンボ鶴田が参戦した。同じくシードだった大木金太郎は欠場だった。

 両リーグから勝ち上がった7人と鶴田が決勝トーナメントを争った。鶴田は初戦の準々決勝でマイティ井上を回転エビ固めで下したが、準決勝でタナカの反則に逆上し反則負けで敗退。決勝ではラッシャー木村が、タナカをバックドロップからの片エビ固めで仕留め、優勝を飾った。鶴田が出場した大会で木村が優勝したわけだが、タナカが果たした役割は大きい。タナカのプロフィールも載っていて、「当時、アメリカで活躍していた日系(と名乗る)レスラーの稼ぎ頭」で、アメリカス・ヘビー級、同タッグの2冠王にもなった実力者だが、「ポリネシアンと思われ、日本人の血は混じっていないと思われる」と詳細に記されている。

 国際プロレスの5つのリーグ戦の成績が網羅されており、この号が「昭和リーグ戦シリーズ6」だというから、壮大な調査研究だ。「日本リーグ争覇戦」はあまり注目されず鶴田が出ていたことは知らなかったが、同年12月にアントニオ猪木が日本統一を目指して「プレ日本選手権」を開催した時に、猪木とヒロ・マツダの決勝戦を前に、ラッシャー木村がリングに上がり、勝者への挑戦を表明したことを思い出した。

 その対戦は国際プロレスが崩壊した1981年の10月8日に蔵前国技館で実現した。猪木の腕ひしぎ逆十字固めに木村がロープにエスケープしたが、猪木はブレークせずに反則。木村の勝利となったのだった。

 全日本の鶴田を抑えて日本リーグを制覇した木村が、新日本の猪木に勝った事実を令和になって再認識させられた。「プレ日本選手権」を研究した「ミック博士の昭和プロレスマガジン」のバックナンバーが読みたくなった。(酒井 隆之)

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