関西ラグビーフットボール協会会長の坂田好弘氏が会長職を勇退

スポーツ報知
指導者、協会幹部として後進の育成に心血を注いだ坂田好弘氏。自身もラグビーに育てられた

 関西ラグビーフットボール協会会長を8年間務めた坂田好弘氏(77)が、3月31日付で会長職を勇退した。現役時代は「世界のサカタ」「空飛ぶウィング」と呼ばれ、ラグビー王国ニュージーランド(NZ)でも名をとどろかせた日本代表のトライゲッター。引退後も指導者、協会幹部として、関西および日本ラグビーの発展に尽力した名伯楽が、次代を担う現役ラガーにエールを送った。(取材、構成・田村 龍一)

 昨秋のW杯日本大会。関西協会会長だった坂田氏は、管轄の花園、神戸、豊田、静岡の各会場で国際統括団体「ワールドラグビー」のビル・ボーモント会長(元イングランド代表主将)ら各国ラグビー界の要人を歓待した。日本代表初の8強入りで沸いた自国開催のW杯を陰で支える役割だった。

 「W杯では、こんな面白いスポーツあったの? と多くの方々に感じてもらえたと思う。真剣にぶつかり合い、終わればノーサイドでリスペクトし合うラグビーの素晴らしさを多くの方に知ってもらえて大成功の大会だった。試合だけでなく、その前後にパブで飲みながら語り合ったり、観戦する文化を経験してもらえたこともレガシー。他国開催では分からない。ボーモント会長が9月26日(神戸会場)のスピーチで『きょうはサカタの誕生日です』と言ってくれた時、ラグビーを通じた仲間だと改めて思った。日本のラグビー協会関係者は今後、国内にとどまらず、どんどん世界と交流していってほしい」

 2012年の会長就任後、関西の大学チームの強化に力を入れた。大体大監督時代は全国大学選手権4強3度が最高。母校の同大が1982~84年度に3連覇して以来、関西勢は大学日本一から遠ざかっている。自身の人脈でスポンサーを確保し、15年に関西学生代表とNZ学生代表との交流試合を18シーズンぶりに復活させると、17、19年にはNZ遠征も行った。両代表の交流は現在も継続。今春、同大の後輩にあたる萩本光威(みつたけ)会長(61)に後任のバトンを託した。

 「関西は高校のチームは強いが、大学は関東勢になかなか勝てない。関西の多くの優秀な選手が関東の大学に進むので、関西の大学が強く魅力あるチームにならなくてはいけない。NZ学生代表と毎年試合をすることで着実にレベルアップし、関東との実力差は縮まっていると思う。関西学生代表入りが1つの目標となり、20歳以下日本代表、そして日本代表を目指そうとなる。(新体制には)NZとの交流を続けてもらいたい(※今年は5月2日に花園で予定されていたが、新型コロナウイルスの影響で中止)」

 坂田氏自身も、ラグビーに育てられたとの思いは強い。京都・下鴨中時代は柔道で府大会準優勝の腕前だったが、府立洛北高で、だ円球に“一目ぼれ”。トライを量産するウィング一筋の競技人生が始まった。

 「高校の合格発表の日、ラグビー部が練習していた。柔道も大好きだったが、グラウンドいっぱいに走り回るラグビーに魅力を感じ、この競技をやりたいと思った。高校で最初の試合は同志社大の2軍が相手だったが、試合前に言われたことは『ボールを持ったら走れ、ボールを持っている敵は倒せ』だけ。味方のキックをキャッチして30メートルほど走り、ゴールラインを超えた時『押さえろ』と言われたので地面に押さえたら、それがトライだった。現役時代に600トライ以上したと思うが、人生初トライは今でも忘れない」

 高校時代は右ウィング、大学以降は左ウィングで活躍。同大卒業後に近鉄入りし、25歳の時、日本代表のNZ遠征に参加した。世界最高峰NZ代表の2軍にあたるオールブラックスジュニア戦(68年6月3日・ウェリントン)で快足を飛ばして4トライ。23―19の歴史的勝利に貢献した。翌年「自分の力を試したい」と単身、NZ・カンタベリー大へ半年間留学。そこでも忘れられない出来事があった。

 「当時たった1人で現地へ行き、自分が日本人(外国人)だと痛感させられた。州のリーグ戦で最初の3試合ほどはパスが来てトライさせてもらったが、突然パスが全く来なくなった。なぜか分からなかった。悩んだ末『パスが来ないならタックルしよう』と、時には頭から血を流しながら相手選手に立ち向かった。すると、またパスが来るようになり、リーグのトライ王や州代表になれた。センターだった選手に『あの時なぜパスをくれなかった?』と聞いたら、『キミが仲間かどうか試していたんだ。本当の仲間だった』と。あの経験は大きかった。人はいろんな所で試されている。リーチマイケル(東芝)がなぜ日本代表であれほど信頼されているかと言えば、彼自身が誰よりも必死だからだ」

 昨年のW杯で国内のラグビー熱が高まり、1月に開幕したトップリーグも盛況だったが、新型コロナの影響でシーズンは打ち切られた。坂田氏は元選手の立場から、現役選手たちを思いやる。

 「冬来たりなば春遠からじ。いま耐えれば、また必ずラグビーをできる日が来る。選手たちは目標を失い、モチベーションの維持が大変だと思うが、また試合が再開できる時に向けて備えてほしい。ラグビーを選んだ学生は中途半端ではなく徹底して取り組んでほしい。たとえ一流になれなくても、辞めた後で自分に残るものがある。人を磨くのにラグビーほど良いスポーツはない。新型コロナが収束したら、また半年ほどニュージーランドへ行きたい。仲間たちと試合を見て語り合い、ぼーっとしていたいなあ」

 現役時代も引退後もラグビー界に貢献し続けてきた「世界のサカタ」。喜寿を迎えた今も、ラグビーへの愛は深まるばかりだ。(新型コロナウイルスの感染予防のため、取材は電話で行いました)

 ◆坂田 好弘(さかた・よしひろ)1942年9月26日、大阪市生まれ。77歳。京都・洛北高でラグビーを始める。同大を経て近鉄へ進み、日本選手権優勝3度。日本代表ウイングでキャップ16。75年、現役引退。77年から大体大の監督を務め、関西大学Aリーグ優勝5度、全国大学選手権4強3度。91年から教授も務め、12年度で両職とも勇退。教え子に元日本代表プロップ高橋一彰氏、同No.8菊谷崇氏(共に元トヨタ自動車)ら。12年、アジア人初のラグビー殿堂入り。12~19年度、関西協会会長。現在は日本協会会長特別補佐、関西協会顧問、大体大名誉教授。家族は妻と1男。

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