堀内恒夫の苦い記憶「恐怖の無言説教」とは‥プロ野球取材歴40年超 名物記者がつづるレジェンド秘話

スポーツ報知
1968年の日本シリーズ(対阪急)第6戦、完投勝利を飾った堀内恒夫(後楽園球場で)

 遅ればせながら、4月8日の配信コラムで予告した、堀内恒夫さん(スポーツ報知評論家)が現役時代に経験した「恐怖の無言説教」を書きます。

 1968年9月17日の夜。芦屋の竹園旅館(現ホテル竹園)。部屋の主はテーブルに並べられた肴をつまみながら、黙々と晩酌をしていた。テーブルの横で正座をしてうなだれている若者にはいちべつもくれなかった。2人とも無言だった。

 部屋の主は巨人・川上哲治監督。若者は堀内恒夫だ。堀内はこの時、プロ3年目、21歳だった。堀内には監督の部屋に呼ばれた理由が分かっていた。前夜まで後楽園球場で中日と戦ったチームは、その日東京から移動。甲子園で阪神と戦った。しかし、その試合、先発投手が急きょ変更された。本来の先発投手が、移動の新幹線に乗り遅れたからだ。

 「朝寝坊よ。起きて、あわてて東京駅に行ったけど、チームは出たあとさ」。新幹線の車内で、前夜に戦った中日ナインに会った。江藤慎一からは「巨人は先発投手は別行動で移動できるのか? いいな」と言われた。事情を知らない江藤に、堀内クンは生返事を繰り返すしかなかった。

 酒がビールから日本酒、日本酒からウイスキーに変わった。それでも、川上は無言を貫いた。「オヤジさん、本当にひと言もしゃべらなかった。拷問だったよ」と堀内さんは悪夢を振り返っている。2時間後。「天王山だからな。お前を3連投させてやるよ」を捨てゼリフに、川上監督はようやく堀内投手を解放した。

 ここで、1968年9月17日からの阪神・巨人戦4連戦(18日のダブルヘッダーを含む)の意味を書いておかなければいけない。両者は17日の試合前の時点で巨人が首位に立っていたが、その差はわずか2ゲーム。4連戦の勝敗次第では首位がひっくり返る。まさに天王山だった。そんな大事な決戦の初戦に「寝坊で遅刻」。川上監督が怒るのも無理はなかった。

 若いエースが犯した失態。これでチームがV逸すれば、堀内投手は戦犯になりかねなかった。ところが…。悪太郎、さすがに強運。この4連戦、とんでもないドラマ、事件が次々に起きる。そして、巨人も最終的には阪神を突き放してV4。若い投手の「朝寝坊」は、関係者の記憶からも消し去られた。次回は、堀内投手の“ミス”を消してくれた球史に残るドラマと事件を。(洞山 和哉)

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