野球部外の在校生暴行事件で幻のセンバツ 71年北海「涙のUターン」経て夏出場・三和清春さん「納得いくまで野球やり遂げて」

71年夏の甲子園に出場し、入場行進する南北海道代表・北海高ナイン
71年夏の甲子園に出場し、入場行進する南北海道代表・北海高ナイン
三和清春さん
三和清春さん

 かつて、野球部員以外の不祥事によってセンバツ出場を辞退した高校の元球児に話を聞く連載の最終回は、1971年の北海(北海道)のエース・三和清春さん(66)。在校生の暴行事件で甲子園への道が絶たれたが、逆境をはね返し夏の南北海道大会を優勝した。(取材・構成=浜木 俊介)

 つらい“事件”から49年が過ぎた今も、三和さんは白球を追っている。還暦野球の札幌スターズでプレーする現役選手だ。

 「人間形成という点で、野球はいいスポーツ。チームプレーを学ぶことによって、人の痛みが分かるようになります。もちろん、厳しい練習などで楽しくなくなる時もあるでしょうが、苦しみを乗り越えることで、充実感とともに楽しめるようになるんです」

 試練が人を強くする。しかし出場辞退は、あまりにも突然で残酷な出来事だった。

 「戻れ!」

 1971年3月13日の深夜。甲子園に向かうための青函連絡船が青森に近づき、バッグを持ってデッキに出た選手たちに藤田英雄監督から命令が飛んだ。

 「不祥事は、連絡船で夕刊を見て知っていました。ここ(青森)まで来たから大丈夫では? という考えもありましたが、その言葉で甲子園には行けないんだな、と」

 下船することなく、同船で函館へ引き返した。「涙のUターン」と言われ、高校野球史の悲しい出来事の一つに数えられている。

 「おそらく、対外試合も禁止になるのではないか。もうダメだと思いました」

 三和さんの感覚では「不祥事=1年間の対外試合禁止」。しかし、夏の舞台が奪われることはなかった。すぐに学校を訪れた当時の佐伯達夫・日本高野連会長から、試合の制限はしない旨の話を聞いた。

 「わざわざ来てくださって、夏に出場できる権利をいただける、と。自分にとって希望になりました」

 この年のセンバツ行進曲は、岸洋子の「希望」。胸を張って行進することは出来なかったが、道は開けた。

 北海は前年夏、甲子園に出場(10―13滝川)。三和さんは2年生エースとして先発している。

 「辞退した時、センバツが初めての甲子園だった者から『お前たちはいいよな』と言われたのは、胸に刺さりました。だから、夏は何が何でもという気持ちがありました」

 仲間を甲子園に連れて行く。強い責任感で右腕を振り続け、春季大会、夏の地方大会と15連勝で南北海道の頂点に立った。

 「今年の場合、私たちと違って夏もない可能性があります。でも、人間は目標をしっかり持って生きることが大切。大学に行く者もいるでしょうし、納得のいくまで野球をやり遂げてほしいですね」

 2度目の甲子園も初戦負け(1―3美方)。全国で勝つという新たな夢の実現のため札幌大に進み、1年時(72年)に大学野球選手権で大東大を破った。日本ハムが北海道を本拠とした2004年には、中学生の受け皿にと恵庭リトルシニアをたち上げた。いつでも前を向き、野球を愛し続ける姿が、そこにある。(おわり)

 ◆三和 清春(みわ・きよはる)1953年10月10日、北海道赤平市生まれ。66歳。北海では2年春からエースナンバーを背負う。札幌大へ進み、74年大学選手権でベスト4。札幌トヨペットでプレーしたのち軟式に転向し、恵庭市役所で選手、監督。現在は恵庭市体育協会専務理事。右投右打。

 ◆71年センバツVTR 決勝は大会史上初めて東京と大阪の対決に。日大三が2―0で大鉄を下し初優勝を果たした。沖縄返還協定が調印された年。普天間が沖縄勢としてセンバツ初勝利を挙げた。初出場の木更津中央が高知、県岐阜商、東邦と強豪を次々に倒し、ベスト4入りの快進撃。北海に代わって出場した芦別工は、初戦で近大付と対戦して1―5で敗れた。

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