この経験必ず役立つ踏ん張って…75年出場辞退した門司工のエース・藤原誠二さんから幻のセンバツ球児へ

現在はNTT都市開発ビルサービスで部長を務める藤原さん
現在はNTT都市開発ビルサービスで部長を務める藤原さん

 新型コロナウイルスの影響で中止になった第92回センバツ高校野球大会。本来の開幕日から19日で1か月がたった。スポーツ報知では、野球部員以外の不祥事によってセンバツ出場辞退を強いられた経験を持つ3人の元高校球児を取材。緊急事態宣言の対象が全国に拡大され、夏の甲子園の開催可否も不透明な情勢だが、今回のセンバツ出場が幻となった球児へのエールなどを聞いた。初回は1975年の門司工(現豊国学園、福岡)でエースだった藤原誠二さん(62)。(取材・構成=片岡 泰彦)

 門司工は野球部員ではない在校生が起こした住居侵入などの事件により、開会式当日の朝に出場辞退を決めた。兵庫県内の宿舎には、同じくセンバツに出場する東山(京都)ナインも泊まっていた。藤原さんが振り返る。

 「東山高校さんは甲子園に向かい、僕たちは校長が来て『辞退をしないと、夏の大会も出られなくなる。君たちはバスに乗って九州に帰りなさい』と言われました」

 当時は「校風、品位、技能とも高校野球にふさわしいもの」とする出場校選考基準が、今とは比べものにならないほど厳格視されていた。だから、ある意味であきらめもつきやすかった。

 「何が起きたかは分かりませんでしたが、前日の時点で選手間では『出るのは無理かなあ』という話はしてました。まだ夏があるのも救いでした。夏は絶対に甲子園に出るぞって切り替えがしやすかった。前年秋の九州大会で優勝していたので、自信もありましたし」

 だが、夏は福岡県大会1回戦(準々決勝)で敗退した。伏兵の南筑に延長11回、0―1。北部地区大会を通じ、47イニング目での初失点が決勝点となった。

 「最初は、夏に負けたこと自体が悔しかったんですが、次第に『センバツに出られていたら…』という思いが強くなっていきました。特に、僕はピッチャーでしたので、甲子園のマウンドで投げてみたかったというのはいまだにあります」

 藤原さんはその後、国士舘大、電電東京(その後のNTT東京、NTT東日本)でプレー。現役引退後は監督も務めた。あの出来事を糧にすることで、何事にも前向きに取り組んできた。

 「人生にいろんなことが起こる中で、あれほどのショックを受けることはない。上京したてで右も左も分からなかった大学1年生の頃も、厳しい上下関係やさまざまな雑用があってきつい思いもしましたが『あれに比べたら大したことないな』と思えました」

 今回のセンバツが中止となり、全32校の選手たちが甲子園の土を踏む機会を奪われてしまった。

 「本当にかわいそう。ただ、それは周りが思えばいいことかなとも思います。今は活動自粛中という学校も多いと思いますが、もう一度前向きに、夏に向かって『よし、頑張るぞ!』と団結してもらいたい。今、僕があの経験をして良かったと思えるのは、そこで腐ってしまわずに頑張れたから。この経験は必ず役に立ちます。簡単なことではないですが、何とかここで踏ん張ってもらえればと思います」

 ◆藤原 誠二(ふじわら・せいじ)1958年1月1日、福岡・田川市生まれ。62歳。門司工ではサイド右腕として活躍し、国士舘大を経て電電東京に入社。11年間の現役生活を終えた91年から7年間、監督を務めた。現在は社会人の東京都野球連盟の理事、東村山中央ボーイズの特別指導員を務めながらNTT関連会社で部長。右投右打。

現在はNTT都市開発ビルサービスで部長を務める藤原さん
75年3月28日、出場辞退を告げられ肩を落として歩く門司工ナイン
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