豊ノ島の最後の1年半で見た人柄 楽しく優しく、そしてかっこよく

元関脇・豊ノ島
元関脇・豊ノ島

 元関脇・豊ノ島(時津風)が36歳で現役を引退し、年寄・井筒を襲名した。168センチながら関脇まで昇進した相撲巧者は、2002年初場所に初土俵。18年間の土俵人生に、一区切りをつけた。16年九州場所ではアキレス腱(けん)断裂の大けがで一度は幕下まで陥落したが、18年九州場所で再十両。私が大相撲担当としての“初土俵”を踏んだ場所で、関取に復帰した。本場所で豊ノ島を取材したのは、相撲人生の最後の約1年半。その間、多くのことを学ばせてもらった。

 各社のベテラン記者と取組後の豊ノ島を囲む取材は、いつも楽しかった。明るい取材対応。新参者の私の質問にも、丁寧に答えてくれた。受け答えの中では、いつもクスッと笑わせてくれる。大きな魅力の一つだった。例えば得意の左四つで寄り切った一番の後。左を差す場面を振り返りながら「稽古してできるものでもない」と豊ノ島が話す。すかさず報道陣が「センスですね」と“振る”と、「センス…? そうでしょうねぇ」。低くしゃがれた声で、ニヤリと笑っていた。

 そんな人柄の36歳のベテラン。幕内復帰以降は苦しい土俵が続いても、前を向いていた。最後の幕内の土俵となった昨年の秋場所。6敗目を喫した7日目に、こう話した。「どこか自分に(関取)『最年長』という言葉の慰めがある。それが絶対ダメだと思う。最年長という言葉で慰めに入るとよくない。36歳なんて、世間で言ったら若造ですから。正直しんどい。取組前に体を動かしたくても動かない。でも、納得する相撲を取りたい」。

 場所前には右足を痛め、満足な稽古ができていなかったことも明かしていた。16年にアキレス腱を断裂したのは左足。満身創痍(そうい)のはずだった。結果この場所は途中休場したが、土俵に上がる豊ノ島の言葉からは苦しみながらも前を向こうとする姿勢が見えた。「楽しんで相撲を取りたい」。年齢、けがを言い訳に諦めない姿は、強く印象に残っている。

 大相撲担当になって1年が過ぎた今年の初場所前。出羽海部屋へ朝稽古の取材に行く道中、近くの時津風部屋へ稽古に向かう豊ノ島とバッタリ会った。すれ違いざま、「顔じゃない(相撲界で身分不相応の意味)なぁ…」と思いながらも「お疲れさまです」と、道を挟んで向こう側の豊ノ島にあいさつした。するとこちらを向いて、「今日はどこの部屋に行ってるの?」。まさか自分を認識してもらっていると思っていなかったので、内心ビックリ。「あ、出羽海部屋です…」。豊ノ島は、少し頬を緩ませながら「頑張ってね」と声をかけてくれた。

 9場所ぶりの幕下陥落が決まった初場所後、一度は引退を決意したという。だが家族の説得もあり翻意。覚悟の春場所は、2勝5敗だった。5敗目を喫した後は「場所が終わって、進退も考えていきたい」と含みを持たせていたが、引退を発表した18日には「(春場所で)終わりだなと思っていた」。腹は決まっていたということだろう。

 私は、12年間関取として土俵に立ち、幕内で優勝次点は5度の豊ノ島の全盛期も、ケガに苦しんだ2年間も知らない。だがこの1年半、取材を通して少しだけ知った豊ノ島は、素直にかっこよかった。新型コロナ禍で、すでに2週間延期されている夏場所(5月24日初日・両国国技館)の開催は不透明だが、来場所から豊ノ島を囲むあの空間がなくなると思うと、やはりさみしい。(大相撲担当・大谷 翔太)

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