「幸せじゃん。売れたまま、いなくなっていくんだから」…ビートたけしの志村けんさん追悼コメントにあふれ出た本音

スポーツ報知
3歳違いのお笑い界の超大物2人。ビートたけしと志村けんさんは「戦友」のような存在でもあった(01年の紅白歌合戦、氷川きよしの応援に登場)

 お笑い界の戦友の命を奪っていった新型コロナへの怒りと現役バリバリのまま逝ったことへの羨望の思い―。昭和、平成、令和を駆け抜けてきた超大物タレントが生放送中、あまりにも無防備で正直な言葉をポロリとこぼした。

 11日夜のこと。2週間ぶりとなったTBS系「新・情報7daysニュースキャスター」(土曜・後10時)の生放送。放送前から注目を集めていたのは、先月29日、新型コロナウイルスによる肺炎のために急死した「ザ・ドリフターズ」のメンバーでタレントの志村けんさん(享年70)に対するタレント・ビートたけし(73)のコメントだった。

 たけしは志村さんの死去直後に「志村けんちゃんが死んじゃった。同じ空気を吸っていた戦友が死んじゃった感じなんだ」というコメントを発表していたが、生の言葉で語るのは今回が初めてだった。

 たけしの方が3歳年上も芸能界デビューは志村さんの方が早かった2人の超大物の芸能人生は、常に双曲線を描いてきた。

 85年9月、土曜午後8時の視聴率争い「土8戦争」で平均視聴率50%を記録したこともあったTBS系「8時だョ!全員集合」を追い込み、最終的に“引導を渡した”のは、81年5月にたけしらがスタートさせたフジテレビ系「オレたちひょうきん族」だった。

 99年に放送されたものの、たった1年で終了したテレビ朝日系「神出鬼没!タケシムケン」では生涯最後のコント共演。81年から90年まで放送され、大人気だったニッポン放送「ビートたけしのオールナイトニッポン」を志村さんが見学に来たこともあった。

 歌手・氷川きよし(42)が00年、「箱根八里の半次郎」でデビューした際はたけしと志村さんが名付け親とされた。しかし、氷川の東京・氷川神社でのデビューイベントでのこと。当時、映画担当記者として、たけしを映画監督・北野武として密着マークしていた私はたけしに「きよしと言う名前は相方のビートきよしさんから取ったんですか?」と、そっと聞いた。

 すると、返ってきたのは「全然、違うよ。最初に(氷川が所属する長良プロの)長良(じゅん)社長に『コイツが氷川きよしだ。たけしと志村、名付け親になってくれ』って、いきなり紹介されたんだよ」という答え。たけしや志村さんがあずかり知らぬところで、すでに芸名が決まっていたという裏話に驚かされたことを、はっきり覚えている。

 それでも、たけしは「紅白に出場できたら、志村さんと一緒に応援に行っちゃうから」とリップサービス。その言葉通り、氷川がその年の「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たすと、志村さんとともに応援コントを展開。紅白の大舞台で「コマネチ」と「アイ~ン」の名作ギャグの“競演”まで披露したこともあった。

 そして、7都府県への緊急事態宣言発令3日後の生放送となったこの日。たけしは、まず左ほほをポリポリとかくと、突然の死から2週間をへて、ついに志村さんへの思いを語った。

 「けんちゃんはやっぱり苦労しているからね。荒井注さんが辞めるまでドリフの坊や(付き人)だからね。浅草の時はマックボンボンってコンビでコントやっていて。坊やってキツいけど、そこから成り上がってきたからね」と、同じ東京・浅草出身の芸人としての出自から語り始めた。

 「漫才ブームの後で『ひょうきん族』をやったのは、なんとかドリフを追い抜こうとしたから。ドリフは、ちゃんと作った計算されたお笑い。お菓子で言えば『大納言』とか、ちゃんとした砂糖と小豆の味。『ひょうきん族』は完全にテレビの裏側まで見せる人工甘味料だった。人工甘味料と本物の味でやったけど、どうしても人は新しいものに目が動くから、いい勝負で追い抜いちゃったこともある。でも、そうしたら結果的に両方ともダメになっちゃったの」と35年前の「土8戦争」を振り返った。

 さらに「俺は映画(監督)やラジオ(パーソナリティー)に行ったりしたけど、志村のけんちゃんは今度は加藤(茶)さんと組んで、ちゃんとした正当な東京のコントをやったの。そこに関西のコントが入ってきたけど、そこの防波堤だった。やっぱり、深夜(番組)までコントを続けたけんちゃんのおかげ。ずっと東京のコントの防波堤となった素晴らしい人だね。お笑いについては俺はいろんなものに手を出したけど、この人はコント、芸人そのものだよ。コント一筋の人で中々できないですよ、こういう人は」と評価した。

 その上で短命だった「神出鬼没!タケシムケン」については「俺とけんちゃんが組んでコントをやったこともあるけど、お互いにボケ、ツッコミでかみ合わないんだ。やっぱり、クワマン(桑野信義)とかダチョウ倶楽部じゃないと」と反省の弁まで披露した。

 さらに「テレビの時代が変化しても、この人はお笑いのコントというものを突き詰めていって。でも、その代わり、けんちゃんは俺に『俺。しゃべり下手なんだよ、フリートーク下手でね』と正直に言ったけどね」と明かした。

 そして、「何もこれ(新型コロナ)で逝かなくたっていいじゃんってところがあるよね」と正直に漏らした後、本音中の本音が、その口から漏れた。

 「いずれ人間は死ぬけど、何もこの芸人がこんなところでって思うけど、逆に考えれば、けんちゃんはいいところで収まったなって感じ。俺はもっと(死ぬまで)苦労するのかなって思う。(志村さんは)いいところでいなくなったよって。逆に言えば、幸せじゃんって。売れたままいなくなっていくんだからって思うけど。そんなこと言うと、ファンに怒られちゃうけどね」―。

 その後、「俺と(明石家)さんまは孤独死だよって言っているけど」と無理に笑った後、「(志村さんの死で)ちょっと鬱(うつ)になっちゃって。ノイローゼになっちゃって、何も考えなくなったね。俺は一体、どういう人生をこれから歩むんだろうまで考えたね。どうしようって」と、無防備に本音をむき出しにした。

 「ちょっと冷静になってくれば、やりたいと思ったことを一生懸命やるべきだと。それでしようがないんじゃないかと。余計なことを考えるのよそうって言うことになったけどね」と最後に自らに言い聞かせるようにつぶやいた言葉、特に「けんちゃんはいいところで収まったな」という部分に私は強い既視感を覚えた。

 それは18年2月のこと。93年の監督作品「ソナチネ」から始まり、17年の「アウトレイジ 最終章」まで全10作品でコンビを組んできた俳優・大杉漣さん(享年66)が急性心不全のため急死した。盟友とも言える個性派俳優の死の直後、生出演した「新・情報7daysニュースキャスター」で、たけしはこう言った。

 「すごい不謹慎だけれど、一番いい時に死んだんじゃないかなと思うんだよね。(売れなくなっての)芸人の末路は嫌だなと思うし、一番、輝いて忙しくていい時に漣さん、いい思い出でいたって感じがして。それを言っちゃうと怒られるんだけれど。自分のことを考えれば…。うらやましいって言っちゃえば失礼だけれど、良かったねって言っちゃうね」。亡くなる日の午後まで出演ドラマ「バイプレイヤーズ」を撮影していた大杉さんの現役バリバリでの急死を、独特の表現で悼んでいた。

 ここで、たけしの死生観を象徴するエピソードとして何度か紹介している私の思い出話を、もう一度聞いて欲しい。

 「俺は映画で成功してもお笑いは一生、絶対にやめない。笑いとシリアスは最大のテーマ、生と死ということでもあるんだよ」―。たけしのそんな言葉を聞いたのは、97年9月6日の深夜。「HANA―BI」でベネチア映画祭の最高賞・レオーネドールに輝いた直後のベネチアの中華料理店でのことだった。日本人として39年ぶり3人目のグランプリ監督となった「世界のキタノ」は受賞パーティーの行われたベネチア・リド島唯一の中華料理店に密着取材をしていた私を招いてくれたのだった。

 テーブルの正面に座った、たけしが、しこたまワインを口にした後、ポツリとつぶやいたのが「笑いとシリアスは最大のテーマ、生と死ということでもあるんだよ」という言葉だった。

 23年前のベネチアの夜から全く変わらず、たけしの心の中核には常に「メメント・モリ(ラテン語で『死を想え』)」という言葉が横たわっている。たけし語録の中でも有名な「振り子の理論」もそうだ。すなわち、映画監督・北野武とお笑いタレント・ビートたけしは笑いとシリアスの両極端を振り子のように連れ動く。両方に振り切れながらも絶妙にバランスを取っているというものだが、「生の喜び」の裏には常に「死の恐怖」が隣り合わせに存在しているという意識の裏返しでもある。

 多くの北野作品で、たけし演じる主人公は最後には心のバランスを崩し、自死を選ぶ。「ソナチネ」では自分たちを利用したヤクザ組織の大物たちを皆殺しにした上で拳銃自殺、「HANA―BI」では対立組織を根絶やしにした末に、ともに逃避行した不治の病の妻を撃った上で心中自殺。「BROTHER」では、追い詰められた末に取り囲んだ無数の敵の前にたった1人で飛び出し、無数の銃弾を浴びるという事実上の自殺を遂げている。大杉さんとの最後の仕事となった「アウトレイジ 最終章」のラストシーンも、また…。

 自身監督作品のラストシーンのほとんどで、格好悪く生き延びるくらいなら潔い死を選ぶという独自の死生観を描いているのは事実。そして、86年のフライデー襲撃事件に自殺未遂説まである94年のバイク事故。自身の生死のはざまでさえ不安定に揺れ動く等身大のたけしが、そこにいる。

 この日もそうだ。新型コロナの感染拡大で日本中、いや世界に不穏な空気が充満する中、大杉さんの死から2年後に訪れた志村さんの死をほぼ同じ「幸せじゃんって。売れたままいなくなっていく」という言葉で悼んだ、その表情。そこには死の直前の3月17日まで冠番組「志村でナイト」収録に参加していた志村さんの現役バリバリでの急死を、どこかうらやましく思っている一人の弱い男がいた。

 確かに志村さんのファンから見たら、不謹慎な言葉かも知れない。それでも、ともにお笑い界のトップを走ってきた「戦友」のあまりにもショッキングな死に、そうつぶやくしかなかったんだと、私は感じた。

 それを73歳になったたけしの衰えと思う人は思えばいい。私はそんな弱さと、それを隠そうともしない真っ正直な生き方こそが、この超大物タレント最大の魅力だと思っている。(記者コラム・中村 健吾)

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