Twitter facebook Instagram YouTube

元ヤクルト監督の関根潤三さんが死去 元祖・二刀流で投打の両部門で球宴に選出

スポーツ報知
巨人時代の関根潤三さん

 大洋(現DeNA)、ヤクルトで監督を務め、解説者としても人気が高かった関根潤三さんが9日、老衰のため都内の病院で死去した。93歳だった。

 法大時代はエースとして鳴らし、大学3年秋の1948年シーズンではチームを戦後初の優勝に導いた。大学通算では79試合に投げて、41勝30敗をマークした。一方、当時から打撃面でも非凡な才能を見せ、通算350打数93安打、打率2割6分6輪の数字を残している。

 卒業後は社会人野球に進むことを決めていたが日大三中、そして法大での恩師である藤田省三が近鉄の監督となり、50年に近鉄入りした。プロでは投打を兼ね備えた選手として鳴らし、投手としては7年間で65勝94敗、防御率3・42、57年から正式に打者(外野手)に転向して中軸打者として働き、38歳となった65年に巨人に移籍。

 引退後の70年、日大三中でチームメートだった根本陸夫が監督をしていた広島のコーチに就任。若手だった山本浩二、衣笠祥雄、三村敏之などを育てた。75年には巨人・長嶋茂雄監督に請われてヘッドコーチに就任。しかし、球団史上初の最下位となった責任を取り、翌76年は2軍監督に転身した。

 監督としては大洋(現DeNA=82~84年)、ヤクルト(87~89年)を指揮。大洋時代は俊足の加藤博一、屋鋪要、高木豊を「スーパーカートリオ」として売り出し、ヤクルトでは広沢克己、池山隆寛、栗山英樹、荒井幸雄など若手選手を積極的に起用、90年代の黄金時代の礎を築いた。

 90年からはフジテレビ、ニッポン放送の解説者を務め、スポーツニュースなどで元気な姿を見せていた。

野球

個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請 報知新聞150周年
×