9・11を上まわる悪夢、救援の輪が広がるニューヨーク

 まるで悪い夢を見続けているような日々だ。

 テレビ画面に映し出されているニューヨークの光景は新型コロナウイルスに侵略されたゴーストタウンそのもの。すぐそばまできていた球春は瞬く間に遠ざかってしまった。街がひざを抱えて凍えている。そんなふうに感じられる。

 2001年9月11日がオーバーラップする。鈍く、激しい衝撃音とともに、真っ黒な煙が真っ青に晴れ上がった秋空の半分をアッという間に覆った。同時多発テロはおよそ3000人の命を奪い、ニューヨーカーの生活に脅威を与え、ベースボールを日常から追い払った。

 あれから19年。深夜のCNNはアメリカで感染者と犠牲者が最も多いニューヨーク州のアンドリュー・クオモ州知事のブリーフィング(事情報告)を連夜ライブで中継。それが終わると今度は州知事の弟クリスがキャスターを務める報道番組が始まる。彼は隔離の身の感染者だ。自宅地下から自らの体調の変化を毎日報告し、そこからスタジオと全米各地を結んでパンデミックと戦うキーパーソンたちにインタビューしている。ジャーナリスト魂が伝わる見事な仕事ぶりだ。

 機能を失った悲惨な街の様子、最前線で戦う医療従事者の悲痛の叫び、家族を失い悲嘆にくれる人々の表情…胸が締め付けられる。

 それでも、私が人生の3分の1を過ごした街と彼らが気になって、朝方まで見続けてしまう。この悲しみのシーンが一刻も早く消えて、鮮やかな緑の芝生に覆われたグラウンドをバックに、感情の起伏を隠せない口調で語るクオモ兄弟ではなく、メジャーのスクープ記者として知られるジョン・ヘイマンや、深層レポートが得意のESPNリポーターでもあるバスター・オルニーがポーカーフェイスで語る興味深いインサイドリポートをしている姿を観たい。

 「何よりも、僕たちがプレーしている時間だけでも、悲しみ、苦しみ、恐れを忘れてほしい」と、9・11後の選手たちは口を揃えるように言った。そして、言葉通りのことをやってのけた。メジャーリーグはテロ第2波の不安や恐怖に屈することなく、1週間足らずで再開した。ニューヨークでの初の試合はシェイ・スタジアム(当時)で開催された。いつもの記者席を離れて、避難を受け入れてくれた友人夫妻を招待した席でベースボールを堪能した。(当時の私はワールドトレードセンターから数百メートルの近距離に住み、当日は現場に何度も近づきながら日本のラジオ局に1時間ごとに電話リポートを入れ、市当局から避難命令が出る夕方まで続けていた)

 試合は8回裏に飛び出した主砲マイク・ピアザの2ランでメッツが劇的な逆転勝ちを収めた。センターに向かって、一直線に飛んでいった白球は彼らが望んだ通り悪夢のような出来事を忘れさせてくれた。私はスタンディングオベーションを送り、スタンドの見ず知らずの観客と手が真っ赤になるまでハイファイブを繰り返した。

 当時はそんなふうに人と人が触れ合うことで連帯や団結、パワーを感じ、それぞれの気持ちを高め合うことも癒すこともできた。しかし、今は逆に離れなければならない。それがやるせない。

 メジャーリーガーも動けない。9・11当時は救援物資の搬入の手伝いや、病院への慰問など積極的にサポートしていたが、故郷や自宅にバラバラとなって散っていった今はチームとしてまとまりにくい。

 しかし、それでもこのところニューヨークの選手の間で救援のアクションもみられるようになった。ヤンキースにFA移籍した右腕ゲリット・コールは医療従事者に対してマスクや防護服などの医療物資、メッツの左腕スティーブン・マッツも3万2000ドルの寄付を行い、ヤンキースを引退したばかりのCCサバシアも食料などを贈って地域社会に貢献している。こういう困難なときにおける選手たちの存在は、今さらいうまでもなく絶大だ。悲劇の街と化したニューヨーク。救援の輪は間もなく一気に広がるだろう。ヤンキースとメッツのプレーボールはここから始まる。(スポーツジャーナリスト)

出村 義和
 (でむら・よしかず)1971年、ドジャースタジアムでMLB初観戦。ベースボールマガジン社でアメリカ総局勤務、週刊ベースボール編集長などを務める。独立後、ニューヨークをフランチャイズに19年間MLBを中心に多岐にわたるジャンルで取材、執筆を行う。帰国後、JスポーツでMLB中継の解説者も務める。

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