引退・蒼国来が歩んだ波乱万丈の土俵人生…八百長疑惑による引退勧告、空白の2年にも屈せず貫いた相撲への思い

今後は師匠として後進を指導する蒼国来
今後は師匠として後進を指導する蒼国来

 元幕内で東幕下筆頭・蒼国来(36)=荒汐=が今月26日付で現役引退をし、年寄「荒汐」を襲名して荒汐部屋を継承することが発表された。中国・内モンゴル出身の蒼国来は、2011年に八百長問題に関与していたとして解雇されたが、解雇無効を求めて日本相撲協会を提訴。2年近い裁判を経て勝訴を勝ち取り、2013年7月の名古屋場所で復帰した不屈の男だ。土俵に立てないつらい経験をしたが、日本と大相撲を恨むことなく、昨年9月に日本国籍を取得。今後は中国出身初の師匠として後進を育てていく。

 2011年4月14日、蒼国来の人生は大きく暗転した。日本相撲協会から解雇されたのだ。国技を揺るがした八百長問題は同年1月の初場所後に発覚。複数の力士名が挙がる中で、蒼国来の名前もあった。協会から引退勧告を受けたが、潔白を主張して勧告を拒否したことで14日に解雇処分となった。

 納得できない蒼国来は6月17日、解雇無効を求め東京地裁に提訴した。2年に渡る訴訟では、相撲協会の特別調査委員会(当時)の調査不備などが指摘され、13年3月25日に蒼国来は勝訴。同年7月の名古屋場所で幕内力士として“異例”の復帰を果たした。

 解雇から復帰までは、苦しい道のりだった。師匠の荒汐親方(元小結・大豊)は弟子の無実を信じてくれたが、部屋に迷惑をかけるわけにもいかず、部屋を出て支援者の家で生活。当然、相撲部屋での稽古はできず、知人らとのモンゴル相撲、ラグビーの社会人チームの練習に参加させてもらうなどして体を鍛えた。“八百長力士”のレッテルを貼られ、肩身の狭い思いもしたが「一日も早く相撲に戻りたい」一心から長く伸びた髪も切らず、汗を流し続けた。当然、相撲勘は鈍ったが、復帰決定後は「2年前と顔ぶれが変わった」幕内力士との対戦を想定して、大相撲中継を見ながら取組をイメージ。DVDにも録画して早送り、スロー再生、通常再生と様々なパターンで力士たちの弱点を分析するなど2年間の空白を必死に埋めた。

 13年名古屋場所初日(7月7日)は、11年初場所千秋楽(1月23日)以来、896日ぶりに本場所の土俵だった。結果は黒星だったが、土俵の感触は格別だった。「うれしかった。土俵に神様に『帰ってきました。よろしくお願い致します』と伝えた」。そこには2年間の苦しい生活への思いより、再び相撲を取れる喜びがあった。

 勝訴から復帰までは常に前向きで、恨みつらみは口にしなかった。復帰の名古屋場所前に少し時間を取ってもらった。本音はどうなのか聞こうと思ったが、話の大部分は相撲を取るために来日して、すぐに生活した名古屋での思い出だった。蒼国来は03年6月28日に来日。翌29日に愛知・一宮市の部屋に入った。そして、師匠・荒汐親方と食事で向かったのは近所の焼き肉店。そこに元横綱の曙(当時、親方)がいた。「こんな大きな人がいるなら俺はすぐに故郷に帰るだろう」。曙親方は、優しい顔で1万円の小遣いをくれた。「頑張らないと」。曙親方の言葉は分からなかったが、気持ちは伝わったという。喜々として話す“原点”の話からは、相撲愛を感じた。

 2年のブランクは相当あったと思うが、復帰後も今年の初場所まで計38場所関取を務めた。いつも温和な表情で取材に応じてくれ、「俺」でも「僕」でもなく、「私」から入るコメントが印象的。つらい経験を乗り越える支えとなった周囲への感謝も常に忘れない。今後はあふれる相撲への思いで、人としても尊敬される力士を育ててくれるだろう。(斎藤 成俊)

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