朝比奈沙羅、落選後も柔道に全力「百点満点をあげられる人生に」

朝比奈沙
朝比奈沙

 柔道の五輪代表が2月27日にほぼ固まった。全柔連は調整期間の確保などを目的に、今回の選考で早期内定制度を導入した。最初に決まったのは昨年11月で女子78キロ超級の素根輝(19)=環太平洋大=。その3か月後、男女14階級で最も早く五輪への道が閉ざされた朝比奈沙羅(23)=パーク24は代表選考大会の一つだったGSデュッセルドルフに出場。優勝を飾った。

 内容も圧巻だった。準決勝では12年ロンドン五輪金を含む3大会連続メダルのオルティス(キューバ)に一本勝ち。試合後、尊敬する相手に優しく頬を触られると、畳の上で感極まった。「うれしさ、悔しさ。いろんな感情がこみ上げてきた。これが去年のシーズンだったら五輪に出られたのかな。逆に来年だったらどうだったんだろう」。会心の勝利が大きな目標を失った悲しみを際立たせた。

 18年世界女王は五輪後に引退し、医師の道に進むことを決めていた。4年後のパリ五輪を目指す選択肢を消した中で、落選後も国際大会に出続けることを選んだ。柔道に限らず多くの競技で、代表とそれ以外の選手の注目度の差は大きい。実際にその境遇に置かれ、「五輪に出る人にしかスポットライトが当たらない。そういう部分で苦しいとか、悲しい気持ちになったりもする」と認める。

 その中でモチベーションを維持することは簡単ではないはずだ。それでも、女子の増地克之監督に「(補欠で)1%でも五輪に出られる可能性があるのであれば、自分は手を抜かずにやります」と伝えた。「代表になれなかったことで腐るのではなく、ここからが真価が問われる時期」という信念からの行動だった。

 4月からは独協医大の医学部に進む。学業の比重が大きくなり、練習環境も変わるが「不安はあるけど、夢だった医者になる資格を得るチャンスをもらえた。柔道でも勉強でも、目の前にあるチャンスを無駄にしたくない。自分で百点満点をあげられるような人生にできるように頑張る」と決意する。五輪とともに目指したもう一つの夢へ、信じる道を進んでいく。

 ◆林 直史(はやし・なおふみ)1984年8月22日、愛知県生まれ。35歳。明大から2007年入社。プロ野球、サッカー担当などを経て17年から五輪競技担当。18年平昌五輪取材。柔道、卓球などを担当。

スポーツ

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請