【あの日の五輪】メダルの次は普及が使命…08年のソフトボール斎藤春香(下)

スポーツ報知
ユニホーム姿の斎藤春香さん

 2013年9月8日、日本時間午前5時すぎにブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、ジャック・ロゲ会長が20年五輪開催地を発表した。「TOKYO」。日本代表を離れ、地元・青森で競技普及に携わっていた斎藤は目を潤ませ喜びをかみしめた。「五輪を東京でできることがうれしかった。涙が流れました。大勢の日本の方が五輪の素晴らしさを目の当たりにし、体験できることに感激しました。すぐに『そこにソフトボールを!』と思いました」

 北京大会後に「バック・ソフトボール」と叫んだメンバーは帰国し“五輪レガシー”として種目復活へ尽力した。一方、北京を終えた斎藤は全日本の監督を2年間務め、11年に日立を退社。次の目標は「普及」だった。地元の弘前市教育委員会で保健体育課主査としてスポーツ振興に力を注いだ。「金メダルを取って終わりではなく、私には五輪レガシーとして残していくという使命があった」

 ソフトボールのクリニックを開催し、小学校では体育の授業に出向いて指導した。また、実業団や海外チームを合宿地として弘前市に誘致。プロ野球・楽天の公式戦が、自身の名前がついた「はるか夢球場」で17年に初開催され、今年6月で4年目となる。「競技の強化だけでなく、“普及”も大事。地域スポーツとして発展し、子供から大人までプレーできる生涯スポーツとしての楽しさを伝えていきました」。19年2月に日立の監督に復帰するまで、競技の素晴らしさをさまざまな形で伝えた。

 関係者の努力が実り、16年8月のIOC総会で野球・ソフトボールは東京五輪の追加種目に決定した。「ソフトボールが自国開催の五輪に参加できることは非常にありがたい。東京で多くの人に応援してもらえるのはうれしい。成功させるために尽くしていきたいと思いました」

 3大会ぶりに五輪に戻ってくるソフトボール。日本は12年ぶり“2大会連続”の金メダルを狙う。斎藤は日本オリンピック委員会・理事、日本協会・常務理事、日立の監督の立場からチームを支える。一生忘れられない北京五輪で共闘した上野由岐子、山田恵里は現役で代表入りが期待される。7月22日に福島県営あづま球場で行われる開幕戦で日本はオーストラリアと対戦する。「北京メンバーはどんな形であっても強い思いを持っているはず。ベテランの色を出しながら頑張っていくのでは、と勝手にイメージしています」。決勝は7月28日。北京の感動が再現されることを心待ちにしている。

(宮下 京香)=敬称略、おわり=

 ◆08年北京五輪当時の世相 米証券大手リーマン・ブラザーズが経営破綻し「リーマン・ショック」が世界経済を襲った。東京・秋葉原で無差別殺傷事件が発生。米大統領選では民主党のバラク・オバマ上院議員が初当選。翌年、建国以来初の黒人大統領が誕生。国内は福田内閣が終わり、麻生内閣発足。文芸社の「B型自分の説明書」などシリーズ4作がベストセラーとなった。

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