服部勇馬、鈴木亜由子らマラソン代表が故・円谷幸吉氏の墓前に誓う五輪メダル

円谷幸吉さんの墓前で手を合わせる服部勇馬(左手前)ら(C)日本陸上競技連盟
円谷幸吉さんの墓前で手を合わせる服部勇馬(左手前)ら(C)日本陸上競技連盟
円谷幸吉メモリアルセンターを見学した東京五輪男女マラソン代表選手たち(C)日本陸上競技連盟
円谷幸吉メモリアルセンターを見学した東京五輪男女マラソン代表選手たち(C)日本陸上競技連盟

 東京五輪マラソン代表の服部勇馬(26)=トヨタ自動車=や鈴木亜由子(28)=日本郵政グループ=らが12日、福島・郡山市内で会見した。補欠も含めた男女代表8人は、須賀川市内にある1964年東京五輪で銅メダルを獲得した故・円谷幸吉氏の墓前で決意を新たにした。メモリアルホールも訪問し、先人の思いも背負って8月の大一番に臨む。男子で昨年9月のMGCを制した中村匠吾(27)=富士通=と、日本記録保持者の大迫傑(28)=ナイキ=は新型コロナウイルス感染拡大にともなう措置として欠席した。

 56年の時を超え、五輪マラソンに挑む選手たちに“タスキ”がつながれた。円谷氏の墓前に手を合わせた服部は「日本代表としてメダルを獲得した偉大な方。こういった方々がいなければ、今のマラソン界はなかったと思う」と神妙な面持ちで話した。

 今回の墓参りは、日本陸連の瀬古利彦・マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(63)の希望で実現した。小学2年生の時に、映画で初めて円谷氏の走りを見た。「『天国から応援してください。力を貸してください』とお願いした。きっと選手たちを守ってくれると思う」と瀬古リーダーは明かした。

 服部ら8人は11日、9年前に東日本大震災が起きた午後2時46分に福島県内で黙とうをささげた。円谷氏とともに東京五輪を駆けた君原健二氏(78)と寺沢徹氏(85)の講話も拝聴した。「円谷さんも含めて3人に共通していたのは、自分のペースで走るということ。『あっ、それでいいんだ』と思ったし、いつも通りのレースを心がけようと」と服部。五輪であっても、マイペースに歩むことの大事さをあらためて感じた。

 円谷氏をはじめ、服部の東洋大時代の恩師・酒井俊幸監督(43)や大迫の早大時代のコーチである相楽豊・現監督(39)、中村を指導する駒大・大八木弘明監督(61)といった男子内定選手にゆかりの指導者が、いずれも福島県出身というのも運命だろう。

 服部は元日のニューイヤー駅伝後に痛めた左太もも裏が回復し、復帰戦は4月11日の金栗記念5000メートルを予定。新型コロナウイルスの感染拡大で大会中止などもあったが「自分のペースだけは崩さず、持てる力を発揮すればメダルや入賞も見えてくる。五輪へ向けて、やるべきことをやるだけです」。先人の後押しも受けて世界に挑む。(太田 涼)

 ◆円谷幸吉氏と五輪 1940年5月13日、福島・須賀川で生まれた円谷氏は須賀川高から陸上自衛隊に入隊。64年4月の毎日マラソン(現在のびわ湖の前身)で2位となり、東京五輪代表に決まった。同年の五輪男子マラソンで銅メダルを獲得したが、3年3か月後の68年1月9日、27歳の若さで自殺した。陸上自衛隊体育学校内でけい動脈をかみそりで切り失血死。同年10月のメキシコ五輪での好成績への期待がプレッシャーとなり「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」などと書かれた遺書が残された。

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