【あの日の五輪】「ありがとう」ってみんな言ってくれる…2004年の野口みずき(下)

ロンドン五輪代表の選考を兼ねた2012年3月の名古屋ウィメンズマラソンで6位に終わり、会見で涙を流した野口みずき
ロンドン五輪代表の選考を兼ねた2012年3月の名古屋ウィメンズマラソンで6位に終わり、会見で涙を流した野口みずき

 アテネでの金メダルの翌年に野口は、ベルリンで2時間19分12秒の日本新記録をマークして優勝を果たした。2007年には東京国際女子マラソンを制し、日本人で初めて大阪国際・名古屋・東京の3冠を達成。08年北京五輪代表も早々と決めたが、その五輪前から、けがに苦しむようになった。

 「08年の1月くらいから体がしんどくなってきたのと、プレッシャーに負けてしまったところもあって、故障につながってしまった」

 北京五輪直前に左太もも付け根の肉離れを負った。出場を最後まで模索したが、レース本番まで残り5日となった08年8月12日に欠場という苦渋の決断を下した。連覇の夢は断たれたものの、次のロンドン五輪を目標を切り替えた。だが、重圧は焦りを生み、一度治したと思っても、次々と違う場所が痛むようになっていく。

 「医者の言うこと聞かずに、走りながら治していた。そういう感覚は大事とは思っていましたけど、故障との付き合い方を考えることが増えていた」

 疲労骨折などの骨にまつわるけがは治りも早かったが、筋肉の損傷は年齢とともに回復が遅れた。今振り返ると、元々の原因として思い当たるのは意外なことだという。

 「06年にお風呂場で転んで、腰を強打した。もしかしたらそれが引き金になったのではないか、と。時間がたって、バランスを崩す要因になったと思います」

 42・195キロの長丁場をダイナミックなフォームで走り抜ける野口には、バランス異常は致命的といえる。スタミナでごまかしきれなくなる後半には、そのひずみが大きな影響を及ぼす。

 「当時はあまり動かない方がいいと言われて、筋力が落ち、体重も増えた。絶望的でした」

 だが、野口はけがに負けたまま去る道は選ばなかった。10年後半には故障箇所の炎症が消え、再び走れるまでに状態を戻した。12年ロンドン五輪こそ選考レースで敗れ切符を逃したが、13年名古屋では3位に入り同年のモスクワ世陸代表に選ばれた。

 「(モスクワは)熱中症でゴールできなかったけど、あの名古屋での3位は本当に奇跡だなって」

 その後も故障と闘いながら、集大成の16年リオ五輪を目指した。代表選考ラストレースは思い出の詰まった名古屋。目の前に広がった風景は、アテネとは全く違うものだった。

 「不思議な感じでしたね。今までは誰にも前を走らせなかったのに、あの時はもう離されちゃって。沿道のファンも市民ランナーの方も応援してくれて。お花畑にいるような。『頑張って』じゃなくて『ありがとう』ってみんな言ってくれるんです。それがうれしくて」

 23位。フルマラソン自己ワーストの2時間33分54秒が現役最後の走りとなった。

 アテネ以降、五輪メダリストも、入賞者すらも出ていない日本女子マラソン界。東京五輪代表が決まった今、17年に現役を退いた野口が、次世代を担うランナーへ伝えたいのは「自信」の2文字だ。

 「とにかく積極的なレースをしてほしい。アテネの時は『この中で一番練習してきた』と言う自信を持って先頭を走ったし、絶対譲らないと思っていた。メダルを意識したトレーニングをして、自信を持って臨むことが大事です」(太田 涼)=敬称略、おわり=

 ◆2004年の世相 ドラマ「冬のソナタ」をきっかけに主婦層中心に韓流ブームが起きる。プロ野球で球界再編問題が浮上し、ストライキで9月18日・19日の試合が中止になった。11月に東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入が決まった。米メジャーリーグ・マリナーズのイチローは84年ぶりに歴代シーズン最多安打記録を塗り替える257安打をマーク。また、営業開始から40年間、営業線上で脱線事故を起こしたことのなかった新幹線が、新潟中越地震により、初めて脱線事故を起こした。

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