福島第1原発で被災の車いすバスケ代表・豊島英主将、東京パラの表彰台で恩返しを

真剣な表情でシュート練習を繰り返す車いすバスケットボール・宮城MAXの豊島英(カメラ・大好 敦)
真剣な表情でシュート練習を繰り返す車いすバスケットボール・宮城MAXの豊島英(カメラ・大好 敦)

 福島県いわき市出身で車いすバスケットボール男子日本代表の豊島英(あきら)主将(31)=宮城MAX=がこのほど「とうほく報知」のインタビューに応じた。2011年3月11日に起きた東日本大震災から9年―。勤務していた東京電力福島第1原発で被災した当時の心境や東京パラリンピック(8月25日開幕)に向けた覚悟を語った。(取材・構成 長井 毅)

 東日本大震災から9年。現在、車いすバスケット界をけん引する存在となった豊島は当時、東京電力福島第1原発の事業所内に勤務し経理業務を担当。普段と変わらない仕事中に大きな揺れに襲われた。

 「あの震災の前から何度か前震があって、11日もまたそれと同じような地震かなと思って、軽く考えていた。そこからいきなり揺れ出して…。『これまでとは違う地震だな』と感じた。避難訓練じゃないですけど、机の下に初めて隠れた。揺れが落ち着くまでの間に、天井も落ちてきた。僕は車いすをこいで外に行けなかったので、同僚の方におんぶしてもらって、車いすは別の人に持ってもらって外に出ました」

 翌12日に原発1号機の原子炉建屋が水素爆発。幸いにも津波の被害は避けられた。だが、いわき市内の実家にいた家族と連絡は取れない状態が続いた。不安が募る中、15日午前3時に家族と再会できた。

 「地震が起きた後、すぐは電波があったけど、それから電波がなくなって誰とも連絡が取れない状況になってしまった。家族と連絡がつながって『今から帰る』という連絡するまでは家族も心配していたと思う」

 生活は一変した。自宅のあった双葉町は全町避難の指示が出され、1か月後にようやく一時帰宅の許可が下りた。

 「あの時の記憶はあいまいなんです。避難した時の荷物と自宅に取りに帰った時の荷物が何だったか、事細かには覚えていない。日常のように流れていった部分もある」

 震災後、世間では東電に対して批判的な目を向ける人がいたり、被災地への風評被害も広まっていた中で自身も複雑な心境にあった。

 「バスケットをやっていていいのかなというのは自分の中であった。他の人が地元にいられない、普通の生活ができない、やりたいことができない中で、自分がやりたいバスケットをやっていくのが、社員としていいのかと。罪悪感や葛藤もあった。なかなか…難しいものがありました」

 「東電職員」という“肩書き”を公表しないままプレーをすることも考えた時期もあったという。女子サッカー日本代表で東電マリーゼに所属し11年ドイツW杯で優勝に貢献した鮫島彩(現INAC神戸)の存在が希望となった。

 「いずれ、自分がバスケットで活動していく上で、隠したまま生活やプレーができないなと思った。女子のサッカーチームの選手たちが所属していたのもあって、鮫島さんが日本代表でやっていく姿を見ていて、自分にも車いすバスケットを通して『地元に元気を』という気持ちが出てきた」

 11年9月、茨城県内への勤務地の異動が通達されたが、1年後に控えたロンドンパラリンピックの日本代表入りを目指していたこともあり、東電を退社。拠点を仙台に移し、所属していた車いすバスケットの強豪・宮城MAXでプレーを磨くことを決めた。

 その後、ロンドン大会代表に選出。震災を機に多くのものを失ったが、得られたものもある。

 「ロンドン大会に向けて動き出した時は『自分のため、自分が出たいから』という思いで目指していた。震災があって、ロンドン大会に行き着くまでにたくさんの人に支えられた。後押ししてくれた人がたくさんいたからこそ実現できた。『目指せ、日本代表!』とか、応援してくれた人もいた。僕一人では代表の座は勝ち取れなかった。人と人とのつながりが大切だと感じることができた」

 車いす男子日本代表は1988年ソウル大会と08年北京大会の7位が最高成績だ。豊島は16年のリオ大会後から代表の主将を務める。数多くの国際舞台を踏んだことで手応えもつかみつつある。

 「自分たちはまだメダルにも手が届いたことがない。決勝トーナメント、ベスト8(準々決勝)から1勝することすらできていない。まずそこが現実的なところではあるんですけど、リオから4年近くやってきた今の代表は勝てるチームが増えてきている。強豪相手に良い勝負をして、1点差、2点差で負けるような試合も増えてきた」

 4月の代表合宿などの選考を経て正式に代表が決定する。

 「自分たちの最高のパフォーマンスをやらないとそこには届かないですけど、僕たちのプレーがかみ合えば、良い色のメダルが取れると思う」

 東電時代の元同僚を含め、応援してくれている家族、ファンへの感謝の思いを体現するべく、自身3大会目のパラリンピックとなる東京の夢舞台へ―。そして、男子史上初となる表彰台を目指す。

 ◆車いすバスケットルール

 一般のバスケットボールとの大きな違いは3点ある。

 〈1〉トラベリング 選手がボールを持っているときのプッシュ(手こぎ)は連続2回まで。3回以上プッシュするとトラベリングとなり、相手のスローインとなる。

 〈2〉ダブルドリブル 車いすをプッシュ2回以内でドリブルすれば、再度プッシュが可能。

 〈3〉クラス分け 障がいの重い人は1点、障がいの軽い人は4.5点と選手一人一人に持ち点が与えらている。豊島は2.0点。コート上の5人の合計が14.0点以内でなければならない。障がいの軽い選手だけで試合はできないため、チーム構成、戦略も見所の一つ。

 ◆豊島 英(とよしま・あきら)1989年2月16日、福島・いわき市生まれ。31歳。生後4か月で髄膜炎を発症し、両下肢機能全廃の障がいが残る。福島・平養護学校2年で車いすバスケットと出会い、チームアースに所属。福島・平商高を卒業し、東京電力に入社。09年から宮城MAXでプレー。15年にWOWOW入社。16年にはドイツKoln99ersに移籍し、2シーズンプレー。11連覇中の全日本選手権ではMVPを3度獲得。ポジションはガード。ロンドン、リオパラリンピック出場。

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