【あの日の五輪】ゴールしたくなかった…2004年の野口みずき(上)

アテネ五輪女子マラソンで、競技場内の大観衆から声援を受ける野口みずき
アテネ五輪女子マラソンで、競技場内の大観衆から声援を受ける野口みずき

 2004年アテネ五輪女子マラソンで、当時26歳の野口みずき(41)は日本勢では00年シドニーの高橋尚子に続いて金メダルを獲得した。小柄な体に似合わぬダイナミックなフォームで、翌年には今なお残る2時間19分12秒の日本新記録をマーク。トラックからロードまで、圧倒的な強さを誇った。だが、その栄光の裏には、職を失った実業団時代の努力やけがとの闘いがあった。(取材・構成=太田 涼)

 日の落ちたビクトリーロードを、街灯がまぶしく照らす。マラソン発祥の地・アテネ。野口は一歩一歩をかみしめるようにゴールのパナシナイコ・スタジアムを目指した。

 「ゴールしたくなかったです。今までやってきたことがテープ切ったら終わってしまうという寂しさもあふれてきて…」

 ここまでの苦しさも、トップの喜びも踏みしめながら、世界の頂へと上り詰めた。

 アテネは五輪史上類を見ない高低差200メートルの起伏の激しい難コース。日没前には突き刺すような日ざしが降り注ぎ、気温36度、湿度31%の気象条件も過酷だった。序盤は力を温存した野口は「下り坂に入る前に仕掛けないと」と25キロ過ぎにペースを上げた。世界記録保持者(当時)ポーラ・ラドクリフ(英国)らが続々と脱落するサバイバルの中、主導権を握った。

 「きついというか、40キロまでは後ろとの差が本当に気になっていた。ただ、沿道の拍手の感覚とかで、まだ何となく離れているなという気はしていた」

 150センチ、40キロ。大きくないアフリカ勢と比べてもひときわ小さな体からは想像できないダイナミックな走りで後続との差を広げ、独走態勢に入った。

 頭には、一人のライバルの姿があった。前年の03年パリ世界陸上で、銀メダルの野口と19秒差で金を獲得したキャサリン・ヌデレバ(ケニア)だ。

 「世陸は32キロでスパートされて、どうして体が動かないのか…と。銀メダルで悔しかった。頭の片隅にはヌデレバ選手を意識しながら練習していました」

 アテネでもスパートで一度は突き放したが、息を吹き返され、猛然と追われた。最終的には12秒差まで詰め寄られた。だが、その頃には野口は別な次元の中で走っていたという。

 「12秒差…。本当にやばかったんですね。40キロからはヌデレバ選手のことや後ろとの差は忘れて、酔いしれていました」

 その時の野口は広がる景色を心に焼き付けていた。目前に誰の背中もなく、声も視線も伝わる熱気も、全ては自分へと向けられていた。

 「目の前の道がすごく光っていて、吸い込まれるように競技場へ入りました。スタンドの上の方に五輪マークがライトアップされていて、それが何とも言えなくて。中から聞こえる歓声、ざわついている感じ。ゴールテープを切った喜びというより、(競技場に)入る直前の瞬間がとても忘れられない」

 初の五輪でつかんだ金メダル。その原動力にもなった不屈の精神は、失業保険を受けながらトレーニングした約4か月の“ハローワーク時代”に培われた。(敬称略、つづく)

 ◆野口 みずき(のぐち・みずき)1978年7月3日、三重県伊勢市生まれ。41歳。宇治山田商高から実業団に進み、ワコール、グローバリー、シスメックスに在籍。2004年アテネ五輪女子マラソンで2時間26分20秒をマークして金メダルを獲得。翌05年のベルリン・マラソンは2時間19分12秒の日本最高記録で制した。08年の北京五輪は代表入りしたが、直前に左太ももを痛めて欠場。16年3月の名古屋ウィメンズの2時間33分54秒がラストランに。翌4月に引退表明し、7月に一般男性と結婚。現役時代は150センチ、40キロ。血液型O。

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