【あの日の五輪】本当に納得したときに…1996年の有森裕子(中)

92年バルセロナ五輪の女子マラソンで、難所のモンジュイクの丘でエゴロワ(左)と競り合う有森裕子
92年バルセロナ五輪の女子マラソンで、難所のモンジュイクの丘でエゴロワ(左)と競り合う有森裕子

 アトランタ五輪から遡ること12年。1984年のロス五輪で初めて女子マラソンが開催された。その年の1月21日。京都市で行われた全国都道府県対抗女子駅伝の開会式に当時、岡山・就実高2年だった有森裕子は、失意のまま出席していた。

 岡山県代表に選ばれ、意気揚々と京都に入ったが、開会式直前、チーム首脳陣から補欠に回ることを通告された。実力の世界。メンバー落ちを頭では理解していたが、やはり、ショックは大きかった。チームの雰囲気を壊さないため、開会式には悔しさや悲しみを隠して臨んだ。そこにフォーク歌手の高石ともやが登壇。熱心なランナーでもある高石は全国から集まった女子ランナーのために自身が作詞作曲した歌を熱唱した。「自分をほめてやろう」というタイトルだった。

 『この大会に選ばれたことを

 もう一人のあなたに

 よくここまで来たねと

 ほめてやってください

 自分で自分をほめるのが

 とても自然なこと

 頑張ったのは君だから

 自分で決めた道だから(後略)』

 当時17歳だった有森の心に響き、涙がこぼれた。

 それから36年がたつ。「高石さんの歌に、とても感動しました。でも、同時に簡単に受け入れたくない言葉でもあった。自分で自分をほめる、という言葉を安易に使ってしまうと、強くなれない。本当に自分が納得した時に使おう、と決めました」と当時の思いを明かした。

 実際に「自分で自分をほめたい、と思います」という日本陸上史に残る名言を発したのは、96年アトランタ五輪で銅メダルを獲得した時だった。ただ、有森はその前の92年バルセロナ五輪で銀メダルに輝いている。代表選考では松野明美(当時ニコニコドー)と比較され、社会現象にも発展。マラソンという過酷な競技に加え、競技以外の困難も乗り越えて、日本女子マラソン初となるメダルを勝ち取った。しかし、有森は「バルセロナの時は、そんな気持ち(自分で自分をほめたい)には全くならなかったですね」とさらりと話す。

 メダルの色としてはバルセロナの方が上だが、有森にとってはアトランタの銅メダルの方が思い入れが強い。それほど強い「覚悟」を持って挑んだ42・195キロだった。(竹内 達朗)=敬称略、つづく=

 ◆96年アトランタ五輪の名場面 7月19日から8月4日まで開催。開会式ではパーキンソン病と闘うボクシング元世界王者のムハマド・アリ(米国)が震える手で聖火台に点火し、感動を呼んだ。日本のメダルは金3、銀6、銅5。柔道男子60キロ級で野村忠宏が金メダル。00年シドニー、04年アテネと続く3連覇の偉業をスタートさせた。サッカー男子では1次リーグ初戦ブラジル戦でMF伊東輝悦が得点、GK川口能活らが奮闘し、大金星を挙げる「マイアミの奇跡」を起こした。しかし、2勝1敗ながら1次リーグで敗退。

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