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29日で引退・四位騎手×小島太元調教師、ダービー2勝“師弟”対談 四位「ダービートレーナー目指したい」

対談した四位(左)と小島太元調教師はビールで乾杯
対談した四位(左)と小島太元調教師はビールで乾杯
88年、サクラチヨノオーで騎手として日本ダービー2勝目を挙げた小島太さん
88年、サクラチヨノオーで騎手として日本ダービー2勝目を挙げた小島太さん
08年にディープスカイで日本ダービー2勝目をつかんだ四位
08年にディープスカイで日本ダービー2勝目をつかんだ四位
四位洋文騎手と小島太元調教師比較表
四位洋文騎手と小島太元調教師比較表

 ダービー2勝ジョッキーで、JRA通算1585勝の名手、四位洋文騎手(47)=栗東・フリー=が29日の阪神競馬場での騎乗を最後に騎手を引退する。今後は調教師に転身するが、ラストライドを前に、同じくダービー2勝ジョッキーで、スポーツ報知評論家の小島太元調教師(72)と対談。あふれる思い出を語り合い、ダービートレーナーを目指す夢を明かした。(構成・松浦 拓馬)

 小島太元調教師(以下、太)「久しぶりに会えて、うれしいよ。ちょうど俺と同じ30年、騎手をやったんだね。洋文はデビューの時からずっと見てた騎手だった。出てきた時から、乗り方もかっこよくて、うまくて。自分もジョッキーだったけど、下手でうまくなかったから、うまくて、顔がかっこいいジョッキーって憧れるんだよ。それがあなただった」

 四位騎手(以下、四)「ありがとうございます。先生が引退された96年の時『すごいおじさんだなあ』って思ってたけど、僕もその年になってしまったんですね(笑い)。思えば、自分の娘より年下の子と乗ってる。先生には、僕がデビューの時からずっとかわいがってもらいました。調整ルームに入っても、ずっと食堂で一緒に話していましたもんね。競馬界では、たくさん恩人や感謝する人はいますが、先生ももちろん、その一人です。太先生からは、“ジョッキーとしての所作”を公私にわたって教えていただきました。僕もこの年になって、下の子にアドバイスや注意をするようになりました」

 太「洋文が初G1を取った96年のイシノサンデーで勝った皐月賞はすごくうれしかったなあ。ちょうど騎手をやめて、フジテレビのゲストに呼ばれて、競馬場で見ていた。俺が乗ってたサクラスピードオーは(横山)典が乗っててね。洋文はまだ6年目だったのに、よく乗ったよ」

 四「すごくヒヤヒヤでした。審議になりましたしね。でも、うれしかったなあ」

 太「あの時の気持ち、『どうやっても自分が最初にゴールポストに飛び込むんだ』って必死に追う気持ちが、騎手には一番大事なこと。その時にも洋文に『この気持ち忘れるなよ』って言ったよな」

 ―四位さんは、ジョッキー30年目のシーズンで引退を迎えます。思い出に残るレースや馬はいますか? 特にお二人はともにダービーを2勝しています。

 四「思い出に残るレースはたくさんあります。一つに絞ることは難しい。でも、ダービーはやっぱり騎手になった時から目指してたからね。先生の時代のダービーと、今とでは違う。頭数が28頭とかでしたもんね。ゲートがとてつもなく長いものだった」

 太「あの時代は、1コーナー目指して、戦争だったよ。洋文のダービーは、ウオッカ(07年)より、ディープスカイ(08年)の方が大変だったと思う。1番人気だったし、すごいプレッシャーだろうなと思ってた。俺も騎手だからさ、その気持ち分かるわけ。それで勝ったから余計に自分のことのように、うれしかったよ。あの時に、『ダービー2勝並びました!』って言ってきたのを、よく覚えてる(笑い)」

 四「先生とのコンビでのなかではディサイファ。14年のエプソムCもそうだし、15年の札幌記念も(勝った)。思い出に残る一頭です」

 太「札幌記念はダービーを勝った時より俺はうれしかったな。ディサイファの時は俺も調教師の引退が近かったし、余計にね。しかも自分の地元、北海道で、騎手でも勝ったことがないレースだったから。500万(現1勝クラス)、1000万(現2勝クラス)を勝ったのも洋文だったしね」

 四「(夏の)北海道では本当によく一緒に過ごしました。湯の川(函館市)を一緒に雨の日、ドライブしたこともありました。車を貸したこともありましたね(笑い)。先生のお母さんにも、かわいがってもらいました。北海道以外でも、節内移動の時に一緒に新幹線に乗ったり、結構一緒に行動してましたね」

 ―四位騎手は、91年3月2日の中京競馬2Rでデビューされました。

 四「これから騎手としてどうなるんだろうって思ってた。デビューの日は、すごい覚えてるよ。『めっちゃ速い』って思った。スピードがね。学校で模擬レースとかやってたけど、違ったね。13着だったし、先頭と結構離れていた。本当のレースはやっぱり違うなって」

 太「俺自身も初勝利は遅かったけど、洋文もそんなに早くなかったね。5月だったな」

 四「2着がずっと続いてたから。初勝利は、91年の5月19日の京都8R、サンラブホーラー。これもずっと覚えていますね」

 ―これからは馬に乗る立場から、馬をつくる調教師へ。

 四「残り少なくなってきたけど、まだ実感があまりない。でも、48歳になって、もうひと頑張りできる職種ってなかなかない。しかも、好きな馬に携わることができる。いい意味の大変さがあると思うけど、やりがいがあると思う」

 太「調教師に必要なことは、我慢と勇気。我慢だけではダメだし、一瞬の判断をいかに冷静にするか。答えを出すのは自分だから。従業員(厩舎スタッフ)には長い目で我慢して、辛抱しないといけないと思う。それが最後にものを言う。洋文は懐の深い人間だから、大丈夫でしょ」

 四「まず、来月からは藤沢和先生のところで勉強をします。夏は、北海道の牧場を回って、顔と名前を覚えてもらわないと。開業はまだ先だけど、厩舎を開いたら、マネジメントの能力とかも必要になってきますね。来てくれるスタッフの人と協力して、やっていきたいですね」

 太「俺は厩舎で、ずっと掃除してた。開業したら掃除に行くわ」

 四「お願いします(笑い)」

 太「洋文は騎手として、本当にすごい能力を持ってる。日本でトップの武豊騎手ともひけを取らないくらいの技術ね。子供の頃から馬に乗ってたから、馬の基本を知っている数少ない人だよ」

 四「調教師はやろうと思っても誰もができる仕事じゃない。だからやってやりたいと思う。ダービージョッキーがダービートレーナーになった人が、最近はいない【注】ので、それは目指したいですね」

 太「本当に洋文が騎手でいっぱい楽しい思いをさせてもらったなあ」

 四「30年近く騎手をやることができて、本当に幸せ。言ったらきりない。まずは、大きなけがなく、これだけやれたのが一番幸せなこと。いろんな人の出会いがあったし、いい思いもさせてもらって、いろんな経験をさせてもらえて、最高でした。これ以上何かいったらバチがあたると思う。本当にいいジョッキー人生を歩めたと思う」

 太「それがまっとうな考え方。自分で自分をほめてやらないとね。俺もそうだった。無理だと思いながら、気持ちだけあきらめないでやってきた。馬が好きで、競馬が好きで。うまくもなかったけど、気持ちだけは絶対最後まで切らさなかった。やめた時、母親と父親に感謝しようと思った」

 四「29日に引退式を阪神競馬場で行う予定になっているけど、コロナウイルスが猛威をふるってますからね。家族も来る予定になってるけど、来てくださるファンのみなさんも気をつけて来てください」

 【注】騎手と調教師の両方で日本ダービーを制覇したのは過去に5人=。うち3人は調教師・騎手の兼業が認められていた時代の達成。騎手時代に2勝した橋本輝雄調教師が87年に勝ったのが最後。

 ◆96年皐月賞VTR

 サンデーサイレンス産駒の2世代目で、トライアルを制したバブルガムフェロー、ダンスインザダーク不在のなか、ロイヤルタッチが1番人気に支持された。同じく同産駒のイシノサンデーは4番人気。レースは、小島太元騎手が前走まで主戦を務めていたサクラスピードオーが大逃げを打って、ハイペースに。4角で馬群が凝縮し、外に持ち出されたイシノサンデーが末脚を伸ばして抜け出すと、猛然と迫るロイヤルタッチを3/4馬身差しのいでゴールした。2番人気だったサクラスピードオーは7着に敗れた。

 ◆29日阪神最終レース後に引退式

 四位の騎手引退式は29日の阪神競馬場で行われる。同日の最終レース終了後に、ウィナーズサークルで16時35分頃からの予定。

対談した四位(左)と小島太元調教師はビールで乾杯
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