【あの日の五輪】引退か現役か4つの問い…1992年の陣内貴美子(中)

五輪前年の91年、台北マスターズの女子ダブルスで優勝した陣内貴美子氏(奥)と森久子氏のペア
五輪前年の91年、台北マスターズの女子ダブルスで優勝した陣内貴美子氏(奥)と森久子氏のペア

 26歳だった90年、自国開催された国別対抗戦のユーバー杯で主将を務めた。代表デビューから10年の節目。引退が頭をよぎる中、五輪へ気力が続くか、自らに4つの問いを投げかけた。

 「まず、2年後に五輪が来た時、自分もやっておけば良かった…と後悔しないかどうか。2つ目に、他の選手が出る五輪をテレビで素直に応援できるかどうか。これは無理だと思いました。3つ目は体が持つかどうか。膝や肩は痛かったけど、これはやってみないと分からない。最後に日本のトップでいられる精神力が続くかどうか。これが一番難しかったけど、やっぱり五輪は夢。最高の舞台なんですよね。3か月考えて、やってみよう、と」

 代表権は、現在と同様に国際大会の成績に応じたポイントによるランキングで決まった。ただ、インターネットも普及していない時代。今のように、世界連盟公式サイトで簡単に現状把握することもできない。

 「まず、ランキングの上げ下げで一喜一憂するという精神的な苦しさがありましたね。そしてポイントを計算もできないし、とにかくたくさん試合に出ないといけなかった。今みたいにパソコンもないから、こうじゃないか、ああじゃないかとはっきりしない部分もありましたね。実際は違ったけど、休むとポイントがなくなってしまうんじゃないかとか、とにかく五輪に行ける基準が分からない、という不安もありました」

 強化体制も、現在とはまるで違った。現代表チームは都内の味の素トレセンが強化拠点だが、当時は実業団チームが軸になっていた。

 「ヨネックスに所属していた私は、都内のNTTへ練習しに行っていました。今でこそプレーを録画して分析もできるけど、当時は肌で感じるしかない。もちろん対策をするけど、やはり実際の球筋とは違う部分もある。そこも難しかった」

 04年アテネ五輪後に、バルセロナ五輪男子ダブルス金メダリストの朴柱奉ヘッドコーチが就任。海外のレベルの高いツアーに積極参戦して強化し、12年ロンドン五輪で藤井瑞希、垣岩令佳組がバドミントン史上初の銀メダル。16年リオ五輪では高橋礼華、松友美佐紀組が金メダルを手にした。男女シングルス、男女ダブルス、混合ダブルスの全5種目での表彰台が期待される東京五輪は、今後の競技人気を左右する“分水嶺”になる。(細野 友司)=敬称略、つづく=

 ◆92年大会の名場面 7月25日~8月9日に開催。日本勢は特に柔道が注目を集め、男子71キロ級の古賀稔彦と78キロ級の吉田秀彦がそろって金メダル。古賀は練習中に左膝を負傷しながらの優勝だった。今大会から正式種目となった女子は、田村亮子が銀メダルに輝いた。陸上の躍進も目立ち、400メートルでは高野進が五輪短距離の日本勢として60年ぶりの決勝進出となる8位入賞。マラソンも男子は森下広一、女子は有森裕子がともに銀メダルに輝いた。今大会からプロ選手の参加が全面解禁され、バスケットボール男子の米国がNBA選手によるドリームチームで金メダルを獲得した。

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