タイガー服部ヒストリー【終】「これからのプロレス界へ贈る言葉…道場こそ命」…2・19後楽園で引退記念試合  はっとり終

橋本真也対小川直也戦を裁くタイガー服部レフェリー(1997年4月12日、東京ドーム)
橋本真也対小川直也戦を裁くタイガー服部レフェリー(1997年4月12日、東京ドーム)

 新日本プロレスのタイガー服部レフェリー(74)が19日の後楽園ホール大会でおよそ44年に及ぶレフェリー生活から引退する。明大レスリング部時代に全日本選手権優勝など輝かしい実績を残し、1970年代に米国でプロレス界に飛び込んだ。服部氏自身によると76年にレフェリーとしてのキャリアがスタート。以来、全日本、新日本、ジャパンプロレスでレフェリーを務め、90年代に入るとメインレフェリーとして新日本の黄金時代を支えてきた。新日本は、長年の功績をたたえ「引退記念大会」を19日に後楽園で開催。記念の興行を前に「WEB報知」では服部レフェリーを独占インタビュー。「タイガー服部ヒストリー」と題し19日の引退興行当日まで連載します。最終回は「これからのプロレス界へ贈る言葉…道場こそ命」。

 いよいよ今日、19日に後楽園ホールで44年あまりのレフェリー人生から引退するタイガー服部。記念大会は全6試合で、服部は「レフェリー引退試合」と銘打たれたセミファイナルの8人タッグマッチ、棚橋弘至、飯伏幸太、矢野通、コルト・カバナ 対 タマ・トンガ、タンガ・ロア、ジェイ・ホワイト、バッドラック・ファレとメインイベントの6人タッグマッチ、オカダ・カズチカ、石井智宏、後藤洋央起 対 内藤哲也、鷹木信悟、SANADAの2試合を裁いてリングから去る。74歳で引退を決意した心境をこう明かした。

 「もう年だよ(笑)。あっという間に74歳になったけど、もう動けないし、頭も働かないし体は壊れているよ(笑)。いろいろハプニングもあったけど、よくここまでやってこれたよ。でも明日から何したらいいのか、分からないよ。ただ、オレはリッチじゃないけど借金もないし困ってないし、何かすごい物を欲しいとは思わないよ。これから、お金を探そうと思わないけど…まだ遊びたいね(笑)。今は孫が2人いるけど、3月にもう一人生まれるから、それがまずは楽しみだよね」

 44年間、何千万、あるいは何億にも及ぶかもしれない数え切れないほどカウントを叩いてきたのは左手だった。「体が壊れている」と明かした時、両腕をまっすぐ伸ばして見せた。明らかに左腕は、右腕より短くなっていた。さらに両腕を上げて曲げると、スムーズに曲がる右腕とは正反対の曲がらない左腕があった。

 「左腕は、これ以上曲がらないんだよ。肩から腕にかけて、しびれはあるし、痛くてしょうがないんだよ」

 折れ曲がった左腕は、激闘を刻んだ年輪だった。長いレフェリー人生の原点と言える「タイガー」と命名された由来を聞いた。

 「あれは、キラー・カーンと一緒にルイジアナに行った時、そこのプロモーターのビル・ワットと知り合いになったんだよ。その後にビルがフロリダに来て、その時に彼が“名前をタイガーにしろ”って言って、それでタイガー服部になったんだよ。どうしてビルがタイガーって思いついたのか分からないけど、その名前が気に入るも何もプロモーターが言ったことだから、オレは言われた通りするしかないから“分かりました”っていう感じだよね」

 レフェリングで心がけてきたことがあるという。「まずは、1試合1試合、一生懸命やったっていうことだよ。それと、オレがいつも心がけてきたことは、選手が動きやすいように場所を提供するっていうことだよ。レフェリーって、邪魔しようとしたら試合は壊せるんだよ。だって、選手が動きたい場所を取っちゃってそこに行けば、選手は行くところがなくなるでしょ。だから、オレはいつも選手を邪魔しない場所でなおかつすぐにカウントを取りやすい場所にいることを考えていた。選手が動きやすいことを一番に考えていたよ。それがベストだよ」

 もうひとつ大切なことがあった。

 「それは、試合の時に新聞とか雑誌のカメラ、テレビカメラがあるでしょ。例えばテレビだったらカメラにオレがケツを向けたら撮れなくなるよね。それじゃいい画が撮れない。お客さんにとってもそうで、オレが邪魔したら選手の技が見えなくなっちゃうよね。選手の動きを邪魔しないように、そういう観客、カメラのことも考えてすべての人が見やすいように動いてきたよ」

 マットを叩くコツは何かあるのだろうか。

 「コツなんかないよ。シンプルだよ。手を広げてしっかり叩くっていうことだよね。そうじゃないとお客さんにカウントが入った音が聞こえないからね」

 目標としていたレフェリーにフレンチ・バーナードを上げた。バーナードは、アンドレ・ザ・ジャイアントのマネジャーも務めていた人物で、1986年4月29日に三重県の津市体育館で行われた前田日明とアンドレのセメントマッチを裁いたレフェリーでもある。

 「フレンチは、うまかったよ。フロリダにいた時にアンドレが連れてきたんだけど、あの動きは参考になったよ。彼は、アンドレがカナダのモントリオールに牧場を持っていたんだけど、そこの管理人を任されていて、アンドレが信頼していたよね」

 半世紀近くプロレスに携わってきた服部に「プロレスとは何か?」を聞いた。

 「そんなの必死でやってきたから考えられなかったよ。ただ、奥が深いなってずっと思っていた。今でも、あっ!これでプロレスのこと全部分かったなんて思わないよ。今でも分からないよね。ただ、日本で言えば、敗戦に打ちひしがれた時に力道山が空手チョップで白人をなぎ倒して当時の日本であれはすごいエネルギーになったよね。そういう時代を経て、猪木さん、馬場さんが出て坂口さん、長州、天龍に引き継がれて武藤、蝶野、橋本…ってその時代の背景とお客さんの流れでプロレスも変わってきたよね。例えば、オレらが米国でやったころは米国は反日感情ばかりだったよね。だけど、今は米国でそんな人はあんまりいないよ。だから、プロレスの人気ってその時代時代の社会情勢と似ているんだよ。そこだけは間違いないよ」

 そして、これからのプロレス界へ提言をした。

 「新日本のシステムが素晴らしいのは道場があることなんだ。道場があるとちゃんとした基本を教えられる。そこで鍛えて、試合をするっていうシステムは素晴らしいよ。世界でもベストだと思う。これは今、WWEもマネしているよね。だから道場が基本なんだよ。プロレスは、やらなくちゃいけないことがいっぱいあるからね。例えば部屋で生活する大相撲の世界もそうだと思うけど、もし道場がなくて自分の立場が上になると下の者のことが分からなくなるよね。それじゃダメなんだよ。だから、絶対に道場はなくしてはいけない。これは、世界に誇れる素晴らしくいいシステムだと思うよ」

 道場こそプロレスの命―この言葉を残しリングから去る。

(終わり。敬称略。取材・構成 福留 崇広)

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