野村克也さん、サッチーと愛した行きつけ寿司店で素顔のボヤキ 金田さん死去後「そろそろ俺かなー」

生前行きつけだった寿司店「鮨太鼓」で昨年、野村さん(中央)を囲って撮った記念写真。大将・正信さん(右手前)、板長・山本司さん(左手前)、女将・秀子さん(右奥)、若女将・麻美さん(左奥)
生前行きつけだった寿司店「鮨太鼓」で昨年、野村さん(中央)を囲って撮った記念写真。大将・正信さん(右手前)、板長・山本司さん(左手前)、女将・秀子さん(右奥)、若女将・麻美さん(左奥)
店には野村さん直筆のメッセージが飾られている
店には野村さん直筆のメッセージが飾られている

 11日に死去した野村克也さんが生前、行きつけだったJR市ケ谷駅近くの寿司(すし)店「鮨太鼓」の大将・白石正信さん(71)らが12日、スポーツ報知の取材に応じ、野村さんとの思い出を語った。野村さんは妻・沙知代さんと2004年に初来店してから16年、多い時で週に3回も同店に通いつめた。店内で語られたぼやきの数々や沙知代さんとのエピソードなど、知られざる素顔を明かした。

 最後に来店したのは先月23日。若女将(おかみ)の白石麻美(あさみ)さん(46)は「いつもと変わらず20貫近く、最後はデザートも食べて、いつも通り冗談やぼやきを言って元気な様子で。なのでとても驚きで信じられません」と目を潤ませた。

 野村さんは16年にわたり同店に通い続けた。17年12月に沙知代さんが亡くなってからは、自ら電話で予約し1人で店を訪れ、意外な本音を漏らすことも多かった。昨年10月に盟友・金田正一さん(享年86)が亡くなると「そろそろ俺かなー」と弱音を吐くこともあった。その度に、女将の白石秀子さん(70)らが「そんなこと言ったら、沙知代さんに『まだ来るな!』って怒られちゃうよ」と励ましていたという。

 店の中には、野村さんが昨年7月に行われたヤクルトのOB戦で着用したユニホームや直筆のメッセージが飾られている。通うようになったのは04年、生ものが苦手な沙知代さんが寿司好きの夫が通えるような店を探し歩き、友人の紹介で来店したのがきっかけだ。味はもちろん、店の雰囲気に沙知代さんが太鼓判を押し、翌週には夫婦で来店。店一番の常連になった。

 麻美さんは「カウンター席の一番右奥が、野村さんの指定席。晩年は腰痛でカウンター席は座りにくかったので、テーブル席で食べていました。食べ終わってもすぐ帰ることはほとんどなくて、最後のお客さんがいなくなるまで2時間ぐらい、私たちや常連客にお得意のぼやきや、楽しいお話を聞かせてくれました」と振り返った。

 野村さんはまず最初にトロを食べ、20貫から多い時で30貫食べていた。一番のお気に入りはカニ。秀子さんは「戦時中の頃は、食べるために海や川で魚やカニを釣っていたと聞いていました。野村さんは全くお料理はできないのですが、カニはお上手にさばけるんです」と明かした。大将の正信さんは「本当によくお食べになって、毎日寿司でもいいと言ってました。でも、素直においしいとは言わない。『普通』って言った時はおいしいって意味なんです」。選手の前ではめったに褒めることがなかった野村さんらしい、照れ屋な一面も披露した。

 沙知代さんはいつも野村さんの膝に手を添え、「まだ食べるの?」などと冗談を言うのが常だった。沙知代さんが亡くなった日は、野村さんから「おっかさん、死んじゃったよー。朝から忙しくて、すまないけど寿司を届けてくれないか」と電話があり、自宅へ届けに行った。秀子さんは「沙知代さんが亡くなられてからは、しきりに『さみしいんだ』とおっしゃっていて。『一人の家に帰らなきゃいけないなぁ』と店を後にしていました」と涙を浮かべた。この日、自宅を弔問した麻美さんは「お店のみんなでお疲れさまでしたと伝えました。ずっと会いたかったマミー(沙知代さん)にきっと会えたと思います」と故人をしのんだ。(奥津 友希乃)

生前行きつけだった寿司店「鮨太鼓」で昨年、野村さん(中央)を囲って撮った記念写真。大将・正信さん(右手前)、板長・山本司さん(左手前)、女将・秀子さん(右奥)、若女将・麻美さん(左奥)
店には野村さん直筆のメッセージが飾られている
すべての写真を見る 2枚

野球

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請