【野村番記者が悼む】自身も「再生工場」に…ノムさんを「ヒマワリ」に変えたシダックスの日々

楽天・野村克也監督
楽天・野村克也監督

 つい最近まで、会うたびに野村さんのジャケットの襟には「1500」の銀バッチが光っていた。2009年4月29日、プロ野球史上5人目の監督通算1500勝を達成した際にオーダーしたものだ。私が「勝利に導いてきた男の勲章ですね」と語りかけると、「同じぐらい負けているんだけどな。弱いチームばっかり指揮してきたから」と笑った。

 監督通算1565勝1563敗76分け。勝敗の差は「2」しかない。鶴岡一人、三原脩、藤本定義、水原茂の上位4人とは異なり、“弱者の兵法”を駆使して、たどり着いた境地だ。

 人はその手腕を「野村再生工場」と呼ぶ。だが、野村さん自身も指揮官として「再生」した過去がある。阪神監督で3年連続最下位の屈辱にまみれ、プロの世界からはじき出された野村さんが袖を通したのは、社会人野球・シダックスの赤いユニホームだった。

 03年2月1日、静岡・修善寺での志太スタジアムでのキャンプ初日。野村さんはつえをついて、宿舎からグラウンドまでよれよれと歩いていた。だが数日後、背筋をピンと伸ばし、自らバットを振って打撃指導する光景に出くわした。「野球に関わっていると、元気が出るよな。俺には野球しかない。ユニホームは一番の薬だよ」と力を込めて語った。

 本拠地は調布市所有の少年野球も使うグラウンド。ベンチには雨よけがなく、風が吹くと顔が土ぼこりで真っ黒になった。恵まれない環境の中で、野球に没頭した。「社会人野球は負けたら終わりの明日なき戦い。面白いよ」。今年1月25日のシダックスOB会。03年の都市対抗決勝で逆転負けを食らった継投ミスを「野球人生で一番悔いが残っている」と改めてわびた。夢中になった証拠だった。

 翌04年の球界再編。9月に「楽天が新規参入」のニュースが流れると、「名前は見たことあるけど、何する会社なの?」と私に聞いた。「俺がプロの監督? 絶対にない。こんなジイさん、誰も相手にしてくれないよ」

 本音ではなかった。梅沢直充マネジャーがコンビニで買った冷やしとろろそばを毎日すすっていた。健康すぎる食生活。「俺はまだまだやれる。絶対にもう一度、プロの世界で勝負したい」という覚悟の表れだった。

 楽天では試合後のボヤキが人気だった。「会見場に行く途中、何を話せばウケるか、いつも考えているよ」。その瞬間、視聴率は上がるとテレビ局員は証言した。主砲の山崎武司には「あいつへの談話は気を使う。風貌は不真面目なのに、中身は真面目で繊細だから」と緻密な計算を明かした。試合後にこき下ろした選手は必ず、次の試合で起用した。

 「一生懸命な選手がいいよな。俺も若い頃、そうだったから」。月見草の花言葉は「自由な心」。女性にモテない私には、こんな“教え”を授けてくれた。「人妻だけはやめとけ」。監督、絶対に守ります。(03~05年アマ野球担当、09年楽天担当・加藤 弘士)

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