【野村番記者が悼む】カツノリの巨人入団で大喜び

04年1月25日付本紙
04年1月25日付本紙

 戦後初の3冠王となり、指導者としても3度の日本一に輝いた名将、野村克也さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天を指揮。「月見草」「生涯一捕手」「ID野球」「再生工場」に“ぼやき節”。多くのフレーズに彩られた野球人生は日本のプロ野球史に多大な足跡を残した。

 * * * *

 「ボヤキの野村」と言われた。相手にこぼす「グチ」はオフレコが原則だったが、ひとり言でもある「ボヤキ」は決してそうはならなかった。過激な発言がメディアに流れ、誤解を生むことも多かったが、素顔のノムさんは本当に裏表がなかった。打者との駆け引きは天才的だったのに、世間との駆け引きはどうも苦手だった。「野村―野球=0」というのが口グセだったが、まさに正真正銘の「野球バカ」と言えた。

 幼少のときから巨人ファンで、あこがれの人が川上哲治さん。巨人を語るときの口調はいつも熱かった。結束力を重視し、ひとりひとりが自分の役割を果たすV9巨人を理想のチームとし、その野球を追い求め続けた。ミーティングで人生訓を語るようになったのも、川上さんの影響だった。巨人OB以外で、最も川上V9野球を継承したのは、このノムさんに他ならなかった。

 ヤクルト監督時代は、巨人戦が因縁の対決として騒がれ、長嶋監督を目の敵にするような発言も多かったが、実は「その方が盛り上がるやないか」というのが本心だった。あるテレビ番組で沙知代夫人が「私たち夫婦の夢は、主人が巨人の監督になること」と発言したこともあった。息子の克則が04年に巨人に入団したときは大喜びしたというが、YGのユニホームを着たノムさんの姿も一度は見てみたかった。(95年ヤクルト担当・尾谷和也)

野球

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請