野村克也さん急逝…戦後初の3冠王からID野球 愛のあるボヤキもう聞けない

1965年11月、3冠王を獲得し、カレンダー撮影で笑顔を見せる野村さん
1965年11月、3冠王を獲得し、カレンダー撮影で笑顔を見せる野村さん
2018年2月、巨人・ホークスOB戦で(左から)巨人軍・長嶋終身名誉監督、張本さん、ソフトバンク・王球団会長と記念撮影
2018年2月、巨人・ホークスOB戦で(左から)巨人軍・長嶋終身名誉監督、張本さん、ソフトバンク・王球団会長と記念撮影

 戦後初の3冠王となり、指導者としても3度の日本一に輝いた名将、野村克也さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天を指揮。「月見草」「生涯一捕手」「ID野球」「再生工場」に“ぼやき節”。多くのフレーズに彩られた野球人生は日本のプロ野球史に多大な足跡を残した。

 「月見草」が深く濃い、84年の生涯を閉じた。

 愛息の克則氏(46)=楽天作戦コーチ=によれば、野村さんは11日未明、東京・世田谷区内の自宅浴室で倒れ、家政婦が119番に通報した。すでに意識はなく、救急車で都内の病院に搬送。午前3時半、死亡が確認された。死因は妻・沙知代さんと同じ虚血性心不全だった。

 2010年5月には解離性大動脈瘤(りゅう)との診断を受け、入院した。14年秋にも入院生活を送り、近年は移動の際にも車いすを利用していた。だが足腰は弱っても頭脳は衰えず、精力的に評論活動を展開した。

 「今でも肉を食うよ。代官山の小川軒の肉は最高なんだ」。旺盛な食欲と十分な睡眠で老いにあらがった。1月20日にはヤクルトのOB会に出席し「ヤクルトは野村抜きにして語れない」と熱弁。「なんか私に用事はないですか?」と“逆オファー”し、周囲から「ヘッドコーチ!」という声を受けると「喜んでやりたいと思います」と語っていた。

 同21日は金田正一さんの「お別れの会」に参列し、同25日にはシダックスのOB会に出席。「選手を育てる上で一番大切なのは愛だ。愛なくして人は育たない」と力説したが、これが最後の公の場となった。今季、2軍から1軍に配置換えとなった克則氏がキャンプに出発前には「1軍なら厳しい戦いになる。頑張れ」と激励。克則氏は「元気な姿だった。いつもの表情で柔らかい感じだった」と言葉を詰まらせた。

 日本海に面する京都・網野町(現京丹後市)の出身。3歳の時に父・要市さんが日中戦争で戦死。母・ふみさんが極貧に耐え、女手一つで育ててくれた。

 「少年時代は俺だけユニホームを買ってもらえず、試合に出てたよ。今に見てろと」。小3から中3まで新聞配達で家計を助けた。峰山高から1954年、契約金0円のテスト生で南海入団。「肩が弱くて、遠投では先輩が『もう少し前で投げていいよ』と言ってくれて、合格できた」。1年目は主にブルペン捕手だったが、オフに戦力外を打診された。「生きていてもしょうがないから、南海電車に飛び込んで死にますと言ったんだ」。これで契約延長されると、3年目からレギュラー捕手に。65年には戦後初の3冠王。70年から兼任監督を務めた。

 75年に通算600本塁打を達成すると「王や長嶋がヒマワリなら、俺はひっそりと日本海に咲く月見草」と名言を残した。大きく報道してもらおうと、1か月前から考えていた談話。常にスポットライトを浴びる「ON」に対する反骨心こそが原動力だった。「生涯一捕手」を貫き、ロッテ、西武と渡り歩き、80年に45歳で現役引退した。

 南海監督時代から「シンキングベースボール」を掲げた。米国式のデータ野球を導入し、クセ盗みの達人でもあった。テレビ解説者時代は配球を画面上で分析する「野村スコープ」が人気に。90年のヤクルト監督就任で開花。データ重視の「ID野球」「野村再生工場」といった言葉はビジネスマンにも注目され、リーグ優勝4度、日本一3度を達成。93年から長嶋監督が率いた巨人との対決は野村氏の鋭い舌鋒(ぜっぽう)がスパイスとなり、注目を集めた。

 「野村引く野球はゼロ。俺から野球を取ったら何も残らない」。阪神で3年連続最下位の屈辱を味わった後は、社会人野球のシダックス監督も務め、現場にこだわった。楽天では「マー君、神の子、不思議な子」といった試合後の「ぼやき」が人々の関心を集めた。

 17年12月8日には妻・沙知代さんが死去。「誰もいない家に帰るって、みじめだよ」とつぶやいていた。「寂しくないようにと、おふくろの写真がいっぱい飾られた中で生活していた。今は2人でいるんじゃないかと思う」と克則氏。葬儀は密葬で、3月中旬にお別れの会を検討している。

 ◆野村克也(のむら・かつや)1935年6月29日、京都府網野町(現京丹後市)生まれ。峰山高から54年にテスト生で南海(現ソフトバンク)入団。65年に3冠王。70年に兼任監督となり、73年にリーグ優勝した。80年に45歳で現役を引退。本塁打王9度、打点王7度、首位打者と最多安打1度、MVP5度。89年に殿堂入り。90年にヤクルト監督となりリーグ優勝4度、日本一3度。阪神、社会人のシダックス、楽天でも監督を務めた。右投右打。

 ◆虚血性心不全 冠動脈が閉塞するなど心臓への血液の流れが阻害され、心臓に障害が起きる病気。仕事中、歩行中など短時間に容体が急変して突然倒れ、意識がなくなることがある。演出家の久世光彦さん(06年死去、享年70)、タレントの前田健さん(16年死去、享年44)らがこの病気で亡くなっている。

1965年11月、3冠王を獲得し、カレンダー撮影で笑顔を見せる野村さん
2018年2月、巨人・ホークスOB戦で(左から)巨人軍・長嶋終身名誉監督、張本さん、ソフトバンク・王球団会長と記念撮影
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