岡本碧優、13歳の下宿人はスケートボードの無敗女王…144センチ、36キロの金候補

岡本(後列左)を支える高橋さん(同右)、笹岡拳道コーチ(前列左)、トッププロの笹岡建介(同右)=笹岡賢治さん提供=
岡本(後列左)を支える高橋さん(同右)、笹岡拳道コーチ(前列左)、トッププロの笹岡建介(同右)=笹岡賢治さん提供=

 スケートボード・パーク女子で昨年の世界選手権女王・岡本碧優(みすぐ、13)=MKグループ=が、東京五輪出場へ一歩一歩近づいている。五輪代表候補でパーク男子の第一人者でもある笹岡建介(20)=MKグループ=の岐阜市内の実家で下宿生活を送り、笹岡の父・賢治さん(50)、兄の拳道(けんと)コーチら周囲の献身的なサポートで成長してきた。小さな女王の快進撃は「ONE TEAM」から生まれている。(取材・構成=太田 倫)

 五輪への道をひた走る岡本が、インタビューを受けると必ず口にする言葉がある。「今勝てているのは、笹岡家の皆さんが力を貸してくれているから」。昨年の五輪予選大会で4戦全勝。小さな女王を支えるのは、スケボー界の「ONE TEAM」の結束力だ。

 岡本は8歳の時、兄の影響でスケートボードを始めた。笹岡家が主宰する愛知・あま市の「Hi―5スケートボードスクール」に通い始め、拳道コーチと出会った。センスを見込んだコーチから「女の子なら、世界で戦える可能性はあるよ」と言葉をかけられ、競技にのめり込んだ。18年の世界選手権では小学6年生ながら5位入賞を果たした。「もっと強くなりたい。もっとうまくなりたい」と、武者修行を決意。同年12月から愛知・高浜市の親元を離れ、笹岡家に下宿して競技に没頭している。

 迎え入れた笹岡家は、まさにスケボー一家だ。総監督が父・賢治さん。テクニックを授け、戦略面も担う3兄弟の長男である拳道さんがヘッドコーチ役と言える。トッププロである三男・建介は最高のお手本になっている。ロサンゼルス在住でスノーボードの元トッププロ・高橋玲さん(43)は、多くの大会が行われる海外でのアテンドや通訳を担い、現地で最先端の情報を収集した上で戦略面でもアイデアを出す。その誰もが、岡本には不可欠な存在である。

 賢治さんは大阪出身。スケボーに出会ったのは、まだ競技人口が少なかった1970年代だった。魅力に取り付かれ、全日本のジュニア王者にも上り詰めた。「パークも日本に数個しかなくて、スケボーって何やねん?っていう時代。ボードなんか今の2~3倍の値段していたし、環境的には良くなかった。今で言うと例えが見つからないくらいマイナーだった」。五輪は、まだまだ遠い世界の出来事だった。

 一方、拳道コーチの競技への入り口はスノーボード。スケボーは、その練習の一環だった。賢治さんが昔使っていた板にも乗って練習するうち、いつの間にかメインが逆転。放課後は毎日、父子で愛知・小牧市のパークまで通った。「スケボーは子供から大人まで、同じ土台でセッションする。成功したらみんなで盛り上がる。そこが一番いいところ」。次男の堅志さん、そして建介も兄に続き、全員がプロライセンスを取得。父の指導、サポートもあり、それぞれがコンテストで上位に名を連ねる実力者となった。ファミリーの名はスケボー界にとどろき、各地から指導を仰ぐ選手が足を運ぶようになった。後に五輪候補となるような選手も、中にはいた。

 岡本の下宿には、一つの条件があった。今や代名詞となった「バックサイド540(ファイブフォーティー)」の習得だ。女子ではほとんど成功例のない、空中で斜め軸で体を1回転半させる大技。笹岡父子は「世界を目指すのなら、540は絶対。(中学までの)進級までに乗れなかったら無理」と、ハードルを突きつけた。世界との距離や、技の進化の速さは熟知している。だからこそ、覚悟を試した。

 小6の最終学期で岐阜に転校した岡本は、約4時間の練習を日課に努力を続けた。19年1月、ついに「540」を成功させ、うれし涙を流した。賢治さんは「毎日のように泣いていたね。怖いし、コケたら痛いやろうし…。根性はある。よう頑張ってると思う。13歳の子が親元離れて来てるわけやから」と振り返る。

 コースでは大胆なトリックを決めても、素顔はシャイな女の子。普段の生活ではスケボーの技術以上にあいさつや礼儀、そして周囲への感謝の気持ちもしっかり言葉に出すよう、叩き込まれた。出来なければ叱る。本人いわく「追い込まれないとダメ」という性格も見越して、簡単には褒めない。岡本は「礼儀? 全然出来てない…」と自信なさげだが「13歳だからといって甘やかすわけにはいかない」と拳道コーチ。「『碧優はスケボーだけ』って言われたらファンも付かない。態度や姿勢でも、見せていかないといけない」。一つ屋根の下で暮らす以上、妥協はない。

 スケボーは16年に五輪での採用が決まり、取り巻く環境は激変した。建介は18年アジア大会で金メダルを獲得するなど、日本随一の実力者として君臨。東京では男子パークでの代表入りが有力視される。岡本も建介を追い、飛躍的に腕を上げてきた。拳道コーチは教え子の無双ぶりに戸惑いも明かしつつ「満足しているとどんどん抜かれる。これからそんなにうまいようにはいかんぞ、と常々言い聞かせている」と、手綱を締めることを忘れない。

 競技に初めて接して40年以上、賢治さんはその栄枯盛衰をつぶさに見てきた。「今の選手は環境も含めて恵まれている」。岡本に望むのは決して強さやうまさではない。「人に愛される選手になってほしいなあ。成績が残っているからという理由だけで声をかけられるのではなくて、たとえ成績が残らなくても、碧優、碧優って言うてもらえるようになってほしいんですよ…」。厳しさの裏側に“親心”を隠し、挑戦を見守っている。

 ◆強さの理由は大技+「持ち技の多さ」

 おわん型のコースで、空中でのトリック(技)の完成度、難易度を競うパーク。五輪のポイントランキングでは岡本が1位、18年世界選手権女王の四十住(よそずみ)さくら(伊都中央高)が2位につけ、上位10傑に4人の日本人が名を連ねる。

 国内の大会に女子部門がつくられたのは18年。それまでは男子と一緒のコンテストに出るか、海外の大会に出るかの二択だった。日本代表の西川隆監督は「早い時期から海外に行く機会が多く、世界と同じ土俵で戦っている。それで世界のレベルに近づいたと思う」と分析する。

 西川監督は岡本の強さを、エアーの高さや大技の魅力が大前提だとしつつ「持ち技が多い。板の持ち方をいろいろ変えてみたり、グラインドもその時々で変えられる。引き出しがたくさんあって余裕がある」と説明。四十住らと切磋琢磨(せっさたくま)していけば、五輪での表彰台独占という夢も膨らむ。

 五輪への道は佳境に入る。各種目の出場枠は20人で1か国・地域からは最大3人。5月の世界選手権で上位3人が出場権を得る。予選対象大会で五輪ポイントを稼ぐ争いになるが、パークは第1シーズン(19年1月1日~9月30日)の上位2大会と、第2シーズン(19年10月1日~20年5月31日)のポイントを合算。5月末時点での累積ポイントにより、各国上位3人(世界選手権選出選手を除く)が選ばれる。

 ◆岡本 碧優(おかもと・みすぐ)2006年6月22日、愛知・高浜市生まれ。13歳。8歳からスケートボードを始める。18年世界選手権で5位入賞し、昨年6月の五輪予選対象大会デュー・ツアーで初優勝を果たした。19年11月のSTUオープンまで五輪予選対象大会は4戦4勝。尊敬する選手は笹岡建介。144センチ、36キロ。家族は両親と兄。

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    スケートボード・パーク女子で昨年の世界選手権女王・岡本碧優

岡本(後列左)を支える高橋さん(同右)、笹岡拳道コーチ(前列左)、トッププロの笹岡建介(同右)=笹岡賢治さん提供=
スケートボード・パーク女子で昨年の世界選手権女王・岡本碧優
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