義足で聖火、“幻の金メダリスト”谷津嘉章が走る

スポーツ報知
自伝「さらば闘いの日々」(宝島社)の表紙用の撮影で、義足ながらプロレスのコスチュームでタックルのポーズを披露した谷津嘉章(撮影・笠井 浩司=KKフォトグラフ)

 糖尿病のため昨年6月に右足を切断し義足になったプロレスラーの谷津嘉章(63)が、3月29日に栃木・足利市で東京五輪の聖火リレーに参加することが決まった。1976年のモントリオール五輪男子レスリングフリースタイルで8位となり、日本がボイコットした80年モスクワ五輪の“幻の金メダリスト”と呼ばれた男の名誉回復の儀式となる。初の自伝「さらば闘いの日々」(宝島社、1870円)を出版した谷津に話を聞いた。(酒井 隆之)

 「皆様のおかげで一つの夢がかないました」。谷津は照れくさそうな笑みを浮かべた。聖火ランナーにはプロレス界から、オカダ・カズチカ(32)=新日本プロレス、愛知=、武藤敬司(57)=レッスル1、山梨=、高田延彦氏(57)=元UWFインターナショナル、岩手=が選出されたが、元オリンピアンは谷津だけだ。

 糖尿病のため昨年6月25日に右足を切断して、絶望していた7月2日に、旧友の日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長(62)が、幻のモスクワ五輪代表を聖火ランナーに起用するプランを組織委員会に提案したというニュースが入った。谷津はこれを支えに、きついリハビリに耐え、義足に体重を預ける不安を吹き飛ばし、10月10日に退院した。

 組織委員会から具体的なアプローチはなく、「滑り止め」で一般公募に申し込んだ。「論文を書いて出しましたよ。でも著名人枠で選ばれたって聞いて、何だそこまでしなくてもよかったじゃんって」とぼやいた。出身は群馬だが、モントリオール五輪出場時に研究員だった足利工大(現足利大)のある栃木代表のランナーに。

 「決まったのは良かったですが、障害者になった今、ぬか喜びできません。これから義足で走る練習がどうなるか心配です。あと2か月、1人では到底、走るのは無理でしょう。サポーターを務めてくれる方々がいての晴れの舞台になりそうです」。メーカー、理学療法士らでチーム谷津を結成する。同じ足利市のコースには、タレントの勝俣州和(54)も選出された。

 入院中に初の自伝をしたためた。今月18日に、東京・新宿区内で出版記念トークショー「谷津嘉章はやっぱり凄(すご)いヤツ」(チームフルスイング主催)に登場。2部に分けて計3時間、大いに語った。「モントリオールで着た深紅のブレザーが地元(群馬・邑楽郡明和町)の町立体育館に飾ってあるんですが、そこに聖火ランナーのトーチを寄贈して、始めと終わりで締めようかなと思うんです。応援に来てください」

 記念トーチは任意で7万5000円程度で購入できるという。走行距離は約300メートル。ランナー用の義足を特注したばかりで、試走はまだこれからだ。「300メートルは長いけど、パフォーマンスとしてマスコミを引っ張るのにはいいのかな」。プロレスラーの意地と生きざまを見せつけるつもりだ。

 ◆谷津 嘉章(やつ・よしあき)1956年7月19日、群馬・邑楽郡明和村生まれ。63歳。足利工大付高でレスリングを始め、日大時代の76年にモントリオール五輪フリー90キロ級8位。80年モスクワ五輪は、日本のボイコットで出場ならず。同年10月、アントニオ猪木にスカウトされ新日本プロレス入団。86年、プロとして初めてアマ全日本選手権に出場し、フリー130キロ級で6年ぶり6度目の優勝。88年、ジャンボ鶴田との五輪コンビで初代世界タッグ王者に。93年、社会人プロレス旗揚げ。2000年に総合格闘技PRIDEに参戦。全盛時は186センチ、120キロ。現在は83キロ(義足装着で87キロ)。

 ◆自伝で明かした壮絶人生

 谷津は自伝「さらば闘いの日々」(宝島社)の表紙で、義足ながら上半身裸になって往年の黒のセミロングタイツをはいた雄姿を披露している。その未公開写真を今回、スポーツ報知に提供してくれた。低い姿勢でタックルの構えを決めている。自伝では、長州力との維新軍団、ジャンボ鶴田との五輪コンビ、SWS崩壊…、右足切断にまで至った病魔、実業家として3億5000万円の借金を抱えたことや、プロレスの裏側についてまで赤裸々に明かしている。

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