【あの日の五輪】五輪史上最悪の悲劇…1972年の加藤沢男(中)

スポーツ報知
メダルを手にした加藤沢男氏

 五輪史上最悪の悲劇が起きたのは、体操競技が終了した4日後の72年9月5日だった。加藤は「バリバリッという音ともに、ヘリコプターが選手村に降りてきたので『何だ? 何が起きたんだ』という感じでした。後で、特殊部隊だったんだなと思いましたけど、事件を知ったのは(朝の)明るくなってから。テレビからでした」と振り返った。

 ミュンヘン五輪の選手村にパレスチナ武装集団「黒い9月」が侵入、イスラエル人アスリート11人が犠牲になった。テロ集団は午前4時過ぎに突入し、2人を殺害した。巡回していた警察官が同5時半頃に遺体を発見し、事件が発覚。9人を人質に取り、収監中だったパレスチナ人の解放を求めた。テレビ中継が始まったのは同6時半頃だった。

 当時はインターネットなどなく、情報はテレビの映像だけ。非常に緊迫した状況だったが「集められて説明を受けた記憶はない。だから、危険だから部屋から出ないようになどの規制もなかった」。関係者によると、他の日本選手団も状況が全く分からず、日本に国際電話をかけて情報を収集していたという。同日夜、9人の人質とともに空軍飛行場に向かったテロ集団に対して警官隊、軍隊が救出作戦を決行したが失敗。銃撃戦となり、人質全員が死亡する最悪の結末となった。

 「イスラエルの選手棟は日本選手団の棟のすぐ近くでした。体操の選手は2、3人知っていました。彼らは無事でしたが…」。やるせない気持ちが残った。翌6日、メインスタジアムでは8万人が集まりイスラエルの選手の追悼式が行われた。一時は中止も検討されたが、同日夕に競技は再開された。

 4年後の76年モントリオール大会では、史上初の個人総合3連覇を逃し銀メダル。「(金メダルを)目指せる状態ではなかったですね。五輪に出たい、勝ちたいとか、あんまりなかった」。戦う環境が整っていなかったことを口にした。(編集委員・久浦 真一)=敬称略、続く=

 ◆72年ミュンヘン大会の名場面 8月26日~9月11日に開催。日本勢は体操男子がメダル16個を獲得し、団体は4連覇を果たした。男子バレーも金メダル。競泳のマーク・スピッツが全7種目で世界記録を更新し、金メダル7個を獲得。日本は金13、銀8、銅8と合計29個のメダルを獲得した。

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