【五輪の倫】空手・喜友名諒、師の思い乗せて沖縄初の金メダルへ

東京五輪で金メダル確実と評される喜友名諒
東京五輪で金メダル確実と評される喜友名諒

 「俺も喜友名になりたいなあ…」

 沖縄の柔らかいイントネーションで発されたその言葉には、モザイクのように感情が入り交じっていた。

 空手形男子の喜友名諒には、絶対に頭が上がらない師匠がいる。佐久本嗣男・劉衛流龍鳳会会長である。現役時代は形で世界選手権3連覇を含む世界大会7連覇を果たし、ギネスブックにも名が残る。東京五輪で金メダル確実と評される喜友名を、365日休みなしの稽古で育て上げてきた。72歳。その伝説的人物が弟子に向ける視線は誇らしげであり、本人の言葉を借りれば、かすかに「焼きもち」が交じっている。

 昭和22年(1947年)、沖縄・恩納村生まれ。「終戦してすぐ。食べ物もままならない。学校にはハダシで行くから足が角質化してカチカチ。砂利道でも屁(へ)とも思わないよ」。学校の運動場や近くの海には不発弾や機関銃の弾倉が残っていた。

 陸上選手だった高校時代に一瞬、五輪に触れた。2年生のとき、64年東京五輪の聖火ランナーとして地元を走った。大会は学校の図書館で見た。「モノクロテレビでね。体育の時間に授業の生徒だけが見られる。皆と座って見た。すごい、と思ってね…。本土はすごいなあ、って」。東京までは船や電車を乗り継ぎ、27時間もかかる時代だった。

 あれから半世紀たった。沖縄に初めての金メダルがもたらされる日が近づいてきた。「沖縄の子供たちに、やればできると夢を与えられる。喜友名を褒めてあげてください」。しかし、一人の空手家として最高峰を極めてみたかったという純な思いが「焼きもち」を生み出す。「五輪がそこにあったら出たい。喜友名たちは、いい時代に生まれたなと思うね。うらやましいですよ。私も今生まれていたら、あと50年空手ができたんだからねえ…」

 空を切り裂く喜友名の拳は力強く、重い。沖縄の願いと師の思いが、そこには乗り移っている。

 ◆太田 倫(おおた・りん)1977年10月6日、青森県生まれ。42歳。横浜市大から2000年入社。プロ野球などを担当し、18年からは五輪取材班へ。主に競泳、スケートボード、空手などを担当。

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