ケンドー・ナガサキさん、亡くなる1週間前の奇跡のレジェンド6ショット

5日に実現していたレジェンド6ショット(チームフルスイング提供)
5日に実現していたレジェンド6ショット(チームフルスイング提供)
ケンドー・ナガサキ最期のメイク(チームフルスイング提供)
ケンドー・ナガサキ最期のメイク(チームフルスイング提供)

 “ケンカ最強”と恐れられたプロレスラーのケンドー・ナガサキこと桜田一男さんが12日、71歳で亡くなった。1980年代に、顔面ペイントに頭頂部をそり上げた落ち武者スタイルの悪役レスラーとして米国で活躍。大相撲幕下から日本プロレス入門、総合格闘技にも挑戦したファイト人生だった。晩年はスキンヘッドだったが、亡くなる1週間前にカツラをつけてメイクして再変装。ザ・グレート・カブキ(71)、キラー・カーン(72)ら昭和のレジェンドたちと“奇跡の6ショット”を撮影していた。(酒井 隆之)

 剣道の防具に竹刀、ザンバラ頭に顔面ペイントを施して米国で恐れられた悪役人生、ケンカの強さから後輩レスラーに慕われたケンドー・ナガサキこと桜田さん。全日本プロレス時代に大仁田厚(62)、米国では武藤敬司(57)を指導しており、2人は訃報を受けて即座にツイッターで追悼した。「練習でしごかれた…だからどんな時にも耐えられた」(大仁田)、「マスターズに出てくれる約束もしていたのに…」(武藤)。

 2016年から心臓にペースメーカーが入っていたが、亡くなる直前まで元気だった。今月5日には東京・代々木でのプロレス・コンベンション「闘強魂」に参加し、ファンと交流。レジェンドレスラーたちが各自ブースを設け、サイン会、撮影会、グッズ販売を行った。

 共演イベントではなく個別の活動だったが、控室で夢のレジェンドショットが実現していた。主催者からの依頼でレスラーをコーディネートしたグッズ製造・販売のチームフルスイング・利根川亘代表(47)が、個々の空き時間を縫って6選手を控室に集めた。キラー・カーン(小沢正志)=居酒屋経営=、ザ・グレート・カブキ(米良明久)=同=、木村健悟(66)=品川区議=、ウルトラセブン(高杉正彦、64)、右足を切断し義足で退院したばかりの谷津嘉章(63)、そしてメイクして“落ち武者カツラ”をつけたケンドー・ナガサキが復活した(敬称略)。

 このカツラは元美容師で利根川氏の友美夫人(44)が、大きいサイズのカツラの頭頂部をナガサキ仕様にカットして作ったもの。米国でのレジェンドイベントでは必需品だったという。「失礼なことでしたが、嫌がらずにつけてくれ、そのうち『カツラはないの?』と聞いてくれるようになりました」と利根川氏。「供養になれば」とプライベート用に撮った6ショット写真を提供してくれた。米国の妻子と離別した桜田さんだが、日本の友人と楽しく飲んで過ごした晩年だった。

 イベント参加を迷っていたカーンは訃報を受けて「桜田に会えて、行ってよかった。桜田の分まで長生きしないといけないな」とつぶやいた。

 ◆桜田 一男(さくらだ・かずお)1948年9月26日、北海道・網走市生まれ。64年に立浪部屋から初土俵。翠巒(みどりみね)として幕下までいったが、71年に日本プロレスへ入門。同年6月、戸口正徳(キム・ドク)戦でデビュー。73年に全日本プロレスへ移籍。米国遠征で82年にケンドー・ナガサキに変身(発案者はテリー・ファンク)。ドリーム・マシーン、ランボー・サクラダとして帰国していたが、ミスター・ポーゴと85年IWGPタッグリーグ戦に出場し、日本でナガサキ初披露。90年にスキンヘッドのドラゴン・マスターとしてFMWで大仁田厚と抗争した後、メガネスーパーが設立したSWSに参加。大日本プロレス時代の95年には47歳で総合格闘技に挑戦した。

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