最後の1秒まで、東海大は王者だった。
「負けと分かっていても、優勝をあきらめずに走りきるのが日本一のチームのアンカーなんです」。2年連続で10区を担った郡司陽大(東海大4年)は、その誇りを全うした。たとえ2位でゴールテープを切ったとしても。
郡司の周りには、いつも笑顔が絶えなかった。特に、小松陽平(4年)とのコンビは息ぴったり。前回初Vの立役者たちは苦労をともにした同志であり、最高のパートナーのように見えた。その2人はこの日、一番似合わない涙を流していた。
「区間新でゴールしたかったな、というのと、負けたんだな、というのが…。みんなが待っている姿を見たときに、いろんなものがこみ上げてきて」
8キロ付近で左足の足底を痛めながらも、見えない青学大の背中を追った郡司。「僕に求められるのは、先頭でゴールすることだけなんです。プレッシャーに感じて、年末は何度泣いたか分かりません」。怖かった。逃げたかった。でも、踏みとどまれたのは、憧れたあの人の背中を思い出したから。
「初めて都道府県対抗男子駅伝に出場したとき、すごく緊張していて。でも、アンカーだった宇賀地強さん(駒大OB、現コニカミノルタ)から『アンカーの順位がチームの順位。だから、お前は思いきって走ってくればいい。あとはオレが何とかするから』と言われたんです。すごく気持ちが楽になって、こんな選手になろうって思いました」
8年前、西那須野中2年時の記憶がよみがえった。自分が不安がっていては、チームに迷惑をかける―。
「このままじゃダメだ、って思った。ハッタリでもいい。同じ事を(7区の)松崎(咲人、1年)たちにも言わなくちゃって」
伝えたことで、自分にも自信が持てた。この4年間の楽しかったことも、苦しかったことも、全てはこの日のため。
「両角監督からは色々言われた。1年目はボロクソ言われて、2年目は『使わなくて良かった』と。でも3年目には『自信を持って選んだ』と言われて、今年もこうしてアンカーを走って。1歩1歩成長して、気付いたらこんなところまで来たんだなって」
1人では、見ることのできなかった景色。9人の仲間が自分のためにタスキをつないできたからこそ、どんな順位でも心に決めていたことがあった。
「僕が優勝のゴールテープを切ってくれると信じて、9人がつないでくれた。ぼろぼろだった自分が最高の仲間に恵まれた。このチームだから、今があるんです。だから、自分の全部を出し切って、最後は笑顔でゴールしようって」
自分のためだけなら、とうの昔に投げ出したかもしれない。でも、誰かのためならがんばれる。仲間の下へと駆け抜けていった郡司のぎこちない笑顔を、忘れないだろう。(箱根駅伝担当・太田 涼)
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