阪神・淡路大震災から25年。教科書の一行になっても伝えたいこと

2019年1月17日、大阪・舞洲のグラウンドで犠牲者に黙とうをささげるオリックスの選手ら
2019年1月17日、大阪・舞洲のグラウンドで犠牲者に黙とうをささげるオリックスの選手ら

 もうすぐ25年目の1月17日がやってくる。1995年の阪神・淡路大震災からもうそんなにたったのか、というのが正直な気持ちだ。関西在住でも、30歳以下の人には、ほとんど記憶もないだろう。私が大正12年9月1日におきた「関東大震災」を知識として知っているのと同じように、教科書に写真と日付が載っている、歴史上の出来事と思う人も多いに違いない。四半世紀もたてば、それも仕方のないことだと思う。

 当時、東京から神戸学院大学に進学し、陸上の10種競技を始めたタレント・武井壮(46)も大学近くの下宿していたアパートで被災した一人だ。東京都出身で「地震は結構あったので慣れていたけど、あの揺れは悲鳴をあげた」と話す。多少の揺れには慣れていても、1月17日の尋常じゃない揺れ方には、我を忘れてしまうほどパニックになったそうだ。

 現在とは違い、携帯電話も普及していない時代。当時中学生だった私も翌日登校すると、兵庫県に住む何人かの友人がいなかった。担任に聞くと「今連絡をとっているが、分からない」と説明された。それから1週間。先生が歩いて訪問した先の避難所で、兵庫・西宮市に住む友人が見つかったと報告があった。のちに友人が「制服、教科書、カバンを家にとりに帰りたくても、とても行ける状況ではなかった」と話していたのを覚えている。

 地震の翌日から、私たちのクラスでは自分たちにできることはないのかを話し合い、ボランティア活動を始めた。とはいえ、中学生に大きなことができるわけはない。まず被災したクラスメートのために、新しい靴下、冬には欲しいセーター、予備のノート、鉛筆などが教室いっぱいに集められた。ある先生には「被災地への救援物資は、大企業から送られる。個人が送るのは迷惑になる」と言われた。今思えばそれはその通りだと思う。それでも、地震から1週間で集まった物資を段ボールに仕分けし、何が入っているのか分かるようにリストを貼って郵便局から送った。

 地震発生から1週間ほどして、テレビやラジオで募金の放送が流れ出した。何か月かたった時、大物ミュージシャンによるチャリティーコンサートも開催された。食料や衣類などの生活用品は、先生の言った通り大企業から続々と届けられた。大きなことは確かに大企業でしかできない。一番はやはりプロ野球のオリックス・ブルーウェーブが「がんばろうKOBE」をスローガンに95、96年とリーグ制覇し、日本一にも輝いたことだろう。多くの人が励まされ、笑顔になった。音楽、スポーツが与える影響の大きさに魅了され、私がまだぼんやりとだが、新聞記者に憧れるきっかけにもなった。

 その後、兵庫県から引っ越した仲間もいた。友人宅でお弁当を作ってもらいながら、登校する生徒もいた。あの日、1週間連絡がとれなかった西宮に住む友人は、今でも1月17日には、慰霊碑に合掌しにいくという。今年も訪れる1月17日。たとえ教科書の一行になったとしても、忘れてはいけない、伝え続ける日であることには間違いない。(記者コラム・古田 尚)

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