【あの日の五輪】日本勢第1号の金メダル…1964年の三宅義信(上)

スポーツ報知
64年東京五輪で日本勢第1号の金メダルを獲得した三宅義信は、表彰台の中央で日の丸を見つめた(左は2位のバーガー、右は3位のノバック)

 20年東京五輪の開会式まで、6日であと200日となった。スポーツ報知では「あの日の五輪」と題し、1964年東京五輪から2016年リオデジャネイロ五輪まで、各大会で活躍した選手の言葉で振り返る。第1回は、64年大会で日本勢第1号の金メダルに輝いた重量挙げ男子フェザー級(60キロ以下)の三宅義信氏(80)。重圧の中で手にした金メダルの舞台裏を明かした。(取材・構成=細野 友司)

 色あせないあの日から半世紀以上がたっても、三宅の記憶は鮮明だった。「何が喜びか。君が代が流れて、日の丸が揚がっていく。これが最高なわけですよ」。現在の上皇陛下(当時は皇太子殿下)が臨席された前で、日本勢第1号の金メダルを手にした。「失敗できない、という力を頂いた。2号、3号とは味が違うだろうとも思いました」。1945年8月の太平洋戦争終結時は、まだ5歳だった。戦後復興に国中が高まる時代。幼少期に刻んでいた戦争の記憶をかみしめ「日本は頑張らなきゃいけない、五輪を通じていろいろなものを発信するんだ、というムードがあった」。

 決戦は開会式の2日後、昭和39年10月12日だった。バンタム級(56キロ以下)で銀メダルに輝いた60年ローマ五輪では大会終盤に組まれていた重量挙げの日程が、東京五輪では序盤に前倒しされた。「ローマで銀を取っていたから、私の金メダルで盛り上げていこう、という大会組織委員会の志なのだと思った。何とか応えないといけない。銀とか銅はダメだ、と」。座禅を組み、三国志の本に没頭し、将棋に取り組むなど、様々な工夫を重ねた。比叡山に登っての修行では、ドクロと一緒に寝たこともあった。「練習より、心の調整の方が大変だったですよね」

 試合が迫り、眠れない日々が続いた。寝不足では力を発揮できない。そこで、試合前々日の10日に夜更かしをすれば、前日の11日は眠くなり緊張していても寝られるだろうと考えた。「マージャンやトランプでもやるか、と。マージャンは僕にとって素晴らしい精神修養なんです。相手の点数を読みながら我慢の時と、一か八か攻める時。勝負根性というか、駆け引きはウェートリフティングと一緒。仲間とワイワイと深夜1時半くらいまでやっていたかな」

 4時間ほど眠り、翌11日は6時に起床。ランニングなどで体重調整をしていった。「マージャンをやっていると体重が減るから、それも全て計算しつつね。夜は700グラムくらい食べてもいいから、野菜と、レモンと砂糖を溶かした水なんかを飲んでいました」。前夜の睡眠時間が短いため、夜になると眠気に襲われた。体を動かしながら、何とか21時頃まで耐えた。試合前日、最大の緊張感の中で狙い通り眠りに落ちていった。制約なく、自ら計算したプラン通りに調整できる選手村の環境を最大限に生かした。

 12日6時。たっぷり9時間ほど眠り、爽やかに目覚めた。1キロほど走り、シャワーを浴びてストレッチ。もう一度布団に横になり、12時20分に起きた。15時の検量に合わせ、会場の渋谷公会堂に到着したのは14時20分頃だった。「最初の1回目はやっぱり体がふわふわして嫌だけど、観客席の左手に親父とおふくろが席を取っているのが見えた。『よし、挙げてやるぞ』と気持ちも落ち着いた。プレス1回目の115キロをじわじわっと挙げていき『よし、これで大丈夫だ』と初めて思えましたね」。最終的にプレス122・5キロ、スナッチ122・5キロ、ジャーク152・5キロで合計397・5キロ。2位に15キロ差の圧勝だった。

 現在はゴムでコーティングされているバーベルも、当時は鋳物製。勢いよく落とせば割れてしまうため、針金で結んで修理して使った。「新幹線とか、高速道路とか、カラーテレビとかを五輪を通じて発信しつつ、競技は食うや食わずでやっているわけです。練習環境や情報だって、今のようにはいかない」。金メダルの裏には、4年前のローマ五輪直後から綿密に準備した成果も詰まっていた。

(敬称略、つづく)

 ◆重量挙げの種目

 ▽スナッチ 床に置いたバーベルを一気に頭上に引き上げ、両腕、両脚を伸ばしたまま静止する。

 ▽ジャーク(クリーン&ジャーク) 床に置いたバーベルを肩の高さまで引き上げる動作(クリーン)をした後、全身の反動を活用して一気に頭上へ引き上げる(ジャーク)。

 ▽プレス(クリーン&プレス) クリーン動作の後、腕の力だけを利用して頭上に引き上げる(プレス)。1972年まで行われていたが、現在は五輪種目に入っていない。

 ◆三宅 義信(みやけ・よしのぶ)1939年11月24日、宮城・村田町生まれ。80歳。法大時代の60年ローマ五輪バンタム級銀メダル。卒業後は自衛隊入りし64年東京、68年メキシコ市両五輪フェザー級で金メダル。73年の引退後は自衛隊体育学校長などを歴任。2013年から東京国際大監督。弟の義行氏はメキシコ市五輪銅メダリスト。姪の宏実は12年ロンドン五輪銀メダル、16年リオ五輪銅メダル。

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